夢をなくした後の生き方–––「I Dreamed a Dream」再考

ミュージカル『レ・ミゼラブル』についても、その最も有名な劇中歌「I Dreamed a Dream(夢やぶれて)」についても、ボーっと生きている大人らしく2012年の大ヒットした映画版とスーザン・ボイルのことくらいしか知らなかったのだが、今回たまたま(なんでだったかは忘れてしまった)1995年に催された『レ・ミゼラブル』の英国初演10周年記念コンサートでのルーシー・ヘンシャルによる「I Dreamed a Dream」をYouTubeで聴いて感銘を受けたので、その紹介がてらこの曲について考えてみたいと思う。

今では単独で披露されることも多い「I Dreamed a Dream」は、もともと気取り屋のトロミエスに恋をし、妊娠し、娘のコゼットとともに置き去りにされた素朴で美しいファンティーヌが、のちに工場を首になった場面で歌う曲である(アン・ハサウェイが歌う映画版では劇的効果を高めるためにさらに後の場面、売春婦として初めての客を取った直後に歌われている)。1980年にフランス人作曲家クロード=ミシェル・シェーンベルクによって「J’Avais Revé d’une Autre Vie(私は別の人生を夢見た)」のタイトルで作曲、1985年に『レ・ミゼラブル』がイギリスで初演される際、作詞家ハーバート・クレッツマーによって英訳されている。この時に歌詞の内容も一部変更され、以下のプロローグが新たに追加された。

There was a time when men were kind
男の人たちが親切だった時代があった
When their voices were soft
その声は柔らかく
And their words inviting
その言葉は魅惑的だった時代
There was a time when love was blind
恋が盲目だった時代があった
And the world was a song
世界は一曲の歌で
And the song was exciting
その歌はエキサイティングだった
There was a time
一つの時代があって
Then it all went wrong
それからすべてがおかしくなった

いかにも不穏な出だし。すべて過去形で歌われているため、最後の一節を待つまでもなく、冒頭からこの曲が「不幸な現在」についてのものであることがわかる作りになっている(ミュージカルを見ているときは当然その前からわかっているわけだが)。これから始まる本編のあらすじのようなものとして、このプロローグ部だけがレチタティーヴォ(歌い語り)で歌われる。

「I Dreamed a Dream」は、一言でいえば「世界に対する信頼感を失っていない若い女性が、殺伐とした現実に直面して打ちのめされる」というそれなりに普遍的と言えそうなテーマについて歌った曲である。曲の中で歌われるのは主にファンティーヌの初恋と別れ(原作小説でトロミエスは「年老いた両親の世話をしなくてはならない」という置き手紙を残して突然消える)についてだが、歌の直接のきっかけになるのは今で言うパワハラ/セクハラの上司と同僚たちからの嫌がらせによる職場からの解雇だ。フェミニズムという言葉すらまだ存在しない19世紀初頭のフランスでシングルマザーの女性が仕事を失うわけだから、その展望の暗さは想像に余りあるだろう。これがもし男性の登場人物だったら(例えば『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンのように)苦難を乗り越えながら自らの世界を拡げていくビルドゥングスロマン(成長小説)のような話にもなり得たかもしれないが、ファンティーヌの場合はそうはいかない。彼女はこの歌のあと娘の服の購入や病気の治療のためにブロンドの髪と2本の前歯を売り払い、最後には売春婦になる。かねての重労働で病を得ていた彼女は徐々に衰弱し、20代半ばの若さで死んでしまう。あまりと言えばあまりな話である。

これには原作小説の作者ヴィクトル・ユゴーも怒っていて、ファンティーヌが売春婦になったとき、自ら小説の中に出てきて次のように語りだす。

 このファンチーヌの物語はなんだろう? 社会が女奴隷を買うのだ。誰から? 貧困からだ。

 飢えから、寒さから、孤独から、放棄から、困窮からだ。痛ましい取引。ひときれのパンのために、魂を。貧困は提供し、社会が受取る。

 (中略)奴隷制は、ヨーロッパの文明から消滅した、と言われている。それは違う。奴隷制は、依然としてある。ただ、女性の上にだけのしかかっている。それは売春と呼ばれる。

 それは女性の上に、つまり優雅なもの、弱いもの、美しいもの、母なるものの上にのしかかっている。これは男の小さからぬ恥である。

『レ・ミゼラブル(一)』、佐藤朔訳、新潮文庫、p.352

自分で書いた話に自分で腹を立てるというのもすごい話だが、小説が発表された1862年までの時点(アメリカでは奴隷制をめぐって南北戦争が行われている最中である)で性差別についてここまで明晰に洞察できるのもまたすごいことだ。「I Dreamed a Dream」はこのように単なる失恋ソングというだけでなく、身の回りの人々からの個別的な暴力と社会からの構造的暴力が重なった地点で歌われる、一人の被差別者からのプロテスト・ソングとしての側面も持っている。

ここから「I Dreamed a Dream」は大きく分けて3つのパートを通過していく。第1部は過去のファンティーヌ、第2部は夢の崩壊、そして最後が現在のファンティーヌ。一つずつ順番に見ていこう。

 I dreamed a dream in time gone by
私は夢を見ていた 過ぎ去りし日々
When hope was high and life worth living
希望は大きく 人生に生き甲斐があったあの頃
I dreamed that love would never die
夢を見ていた 愛は決して死なないと
I dreamed that God would be forgiving
夢を見ていた 神様は慈しみ深いと

Then I was young and unafraid
あの頃は若くて物怖じもせず
And dreams were made and used and wasted
夢なら掃いて捨てるほど溢れていた
There was no ransom to be paid
支払うべき身代金もなく
No song unsung, no wine untasted
歌われぬ歌もなければ 味わわれないワインもなかった 

順次下降する弦楽器のルート音が高貴ささえ漂わせる短い前奏部に続いて、10代のファンティーヌの無垢な夢と希望が綴られていく。「ワイン」は性的なニュアンスのある言葉なので、ここはトロミエスが去る直前までの時期ということになるかもしれない(ファンティーヌがトロミエスと出会うのは19歳の頃)。「支払うべき身代金」という言葉は現在のファンティーヌが娘を預けたテナルディエ家からせびられ続けている法外な額の養育費のことを指していると思われる(このために彼女は売春を始めることになる)。

しかしこの当時のファンティーヌは本当に「愛は決して死なない」だとか「神様は慈しみ深い」だとか思っていたのだろうか? そうではないだろう。ここで歌われているのはすべて過去を振り返ることによって初めて言葉になったものであり、リアルタイムでは意識されることのなかったものだ。美しい夢の渦中にある人間は、その夢の存在を感じることがない。それは失われて初めて気づくものである。「I dreamed(夢見ていた)」は「I believed(信じていた)」とは違う。何かを信じる場合、人は自分の中に根拠を持っている。たとえそれが周りから見て説得力のある根拠ではなくても、何かしらの理由があって人は積極的に何かを信じるのだ。でも夢見るとき、人は何も知らない。自分が何も知らないこと自体を知らない。夢を見ているときに夢を見ていることに気づかないのと同じように。だからそれは非常に不安定な状態で、外からの力によって簡単に壊されてしまう。ファンティーヌもやがてそれを経験する。

 But the tigers come at night
 でも虎たちは夜にやってきて
 With their voices soft as thunder
 雷鳴のように柔らかな声を上げながら
 As they tear your hope apart
 人の希望を引き裂いていく
 As they turn your dream to shame
 人の夢を恥辱に変えていく
  
 He slept a summer by my side
 あの人は夏じゅう夜をともにして
 He filled my days with endless wonder
 毎日を終わりのない驚きで満たしてくれた
 He took my childhood in his stride
 私の子ども時代をいとも簡単に終わらせたけど
 But he was gone when autumn came
 秋が来る頃にはいなくなってしまった 

曲の変調とともに頭上に暗い雲が垂れこめる。「the tigers come at night」、「slept a summer by my side」、「took my childhood in his stride」といったフレーズは前のパートの「ワイン」よりもさらに直接的に性的なイメージを喚起する。「雷鳴のように柔らかい声」というのはいわゆる撞着語法で、要は全然柔らかくなどないということである。ミュージカル版ではここでの歌詞の通りファンティーヌの初恋はひと夏で終わり、小説版では2年ほど一緒にいてそのあいだにコゼットも生まれるという違いはあるが、初恋から妊娠・出産までの短い期間の中で、彼女の子ども時代は急速に終わりを迎えることになる。

一方のトロミエスは原作で、「古風な、老学生だった。金持ちで、四千フランの年金があった」「三十歳の道楽者で、体もよくなかった。皺がより、歯が抜けていた。頭も禿げかかっていた」「彼はとても陽気だったが、彼のうちには、支配的なものが感じられた。その快活さに、独裁的なものがあった」(同上、p.232-237)と描写されている人物だ。彼がファンティーヌに惹かれたのは、おそらく肉体的な魅力からだけではなく、ここまで歌われてきたような彼女のみずみずしい夢に対して憧れのようなものがあったからではないか。自分自身の夢と理想を見失い、人生に迷ってしまった大人が、代わりに手にした地位や金によって見せかけの虚勢を保ちながら、若い人間の真新しい、まだ十分に本人のものになっていない夢と身体の中へ逃れること。現代の日本で「援助交際」だとか「パパ活(ママ活)」だとか名前を変えながら連綿と続く、支援関係を装ったソフトな売春(および性行為を伴う本物の売春)と似た構図がここにはあるように思えるが、ファンティーヌの悲劇は彼女がそのような構図の存在に思い至るほど世事に長けておらず、「唯一の恋であり、誠実な恋」(p.231)をしてしまったことだろう。力の強い側は自分に都合の良いように自分のしていることに名前をつけ、現実をねじ曲げることができる。力の弱い側はその物語を信じ込まされてしまう。

 And still I dream he'll come to me
 今も夢見ている 彼が私のもとへ戻ってくることを
 That we will live the years together
 これからの歳月をともに暮らしていくことを
 But there are dreams that cannot be
 でも世の中にはありえない夢というものがあって
 And there are storms we cannot weather
 切り抜けることのできない嵐というものがある
  
 I had a dream my life would be
 私は夢を見ていた 自分の人生は
 So different from this hell I'm living
 こんな地獄とは全然違ったものになるだろうと
 So different now from what it seemed
 思っていたのとは全然違う今の生活
 Now life has killed the dream I dreamed
 人生はもう 私が見ていた夢を殺してしまった  

そして彼女は学ぶ。アダムとイヴが知恵の実を食べて楽園から追放されたように、彼女はもう元の美しい世界にとどまっていることはできない。それどころか地獄にまで落ちてしまう。彼女はトロミエスと再会することをいまだに強く夢見てはいるが(この意味では慈しみ深く、決して死なない愛を持っているのは神様ではなくファンティーヌである)、それを超える強さで自分の夢が決して叶うことのないからっぽの幻想であることを悟っている。この世界で巻き起こっている、嵐のように避けがたい力のために、彼女の夢はどうしようもなく損なわれてしまった。

ところが「I Dreamed a Dream」はここでクライマックスを迎える。夢について歌っていたときでもなく、現実が夢に襲いかかったときでもなく、夢が殺され、すでに取り返しのつかない状態になってしまったこの瞬間に、歌は最高潮に達する。これはどういうことなのだろう? 歌を通しておこなってきた回想がここに来て現実の時間に追いつき、歌の情緒と現在のファンティーヌの情緒が一致したということはあるだろう。だがこの最後のパートで歌われているのはただただ悲しい落胆と諦めである。炭酸の抜けた炭酸飲料みたいに名ばかりの存在になった夢を抱えながら前途多難な残りの人生を生きていかなくてはならないことには、どう考えてもドラマティックになる要素はないではないか。下手をしたら彼女自身が第二のトロミエスとして他の人間たちを利用するようになってしまってもおかしくないだろう。

しかし考えてみれば私たち大人の多くにとって、人生というのはそういう側面を持つものである。ファンティーヌの場合は19世紀ヨーロッパの大長編らしく神話的なまでに純化された物語になっているが、聴衆である私たちもまたどこかの段階で夢と現実のせめぎあいから多かれ少なかれ傷を負い、大なり小なり想像していたのとは違う生活の中でそれでもなんとか夢見る心を保とうとしながら暮らしている。傷の痛みはその本質からして他人と共有できない。だから人々は孤独になる。そして新たなトロミエスが生まれ、新たなファンティーヌが生まれていく。物語の中であれ外であれ、ステージの上であれ下であれ、誰一人その嵐から完全に逃れ去ることはできない。

死んだ夢を抱えたまま生きていかなくてはならない人生についてファンティーヌが身を振り絞るようにして歌うのは、ひょっとしたら彼女がまだ何かを夢見ているからなのかもしれない。どこかに自分の悲しみを––––現実の前ではあまりにもかよわく、にもかかわらず、あるいはだからこそ、美しい夢を見てしまった人間の悲しみを––––聴き届けてくれる誰かがいることを。そしてその誰かが自分の悲しみを我が事のように受け取り、共感してくれることを。それは仮説的に設定された他者の眼差しのもとでぎりぎりの自己愛を回復しようとする癒しの試みであるのと同時に、人間が自らの悲しみを正面から受け止められないことによって周囲に対して為してきた数々の不幸を自分のところで終わらせようとする勇気ある試みであり、おそらくは愛や宗教や心理療法などの基盤を成している考え方だ。彼女の最後の夢は叶うだろうか? それはわからない。その答えは歌の外側に––––歌と個々の聴き手のあいだに––––あるものだ。だがもし彼女の思いが通じるなら、そのとき彼女の死んだ夢はその別の誰かの死んだ夢と引き合うようにして二人の身体から抜け出し、闇夜を空へ昇っていき、死者の世界でしかるべき居場所を見出し、二人を孤独から解放することだろう。

世の中にはすべての夢が死んだ後に生き残る夢というものがあり、最も激しい嵐が去った後にも残る何かがある。人がなぜ歌を歌い、それを聴くのかということの本質的な理由を、この曲は鮮やかに提示してくれているように思う。


「I Dreamed a Dream」はこれまでアレサ・フランクリンから岩崎宏美まで、サミー・デイヴィスJr.(!)から華原朋美まで、無数のシンガーたちによってカバーされているが、いろいろと聴いてみて思うのは、この曲は歌うのがとても難しそうな曲だなということだ。一人の女性の人生の3つの異なるフェーズを扱っているため、それぞれに異なった、ある種弁証法的に高まっていくような歌い方が求められること、成功者のイメージがついてしまっている歌手が手慰みに歌える内容ではないこと(だからこそスーザン・ボイルの登場があれほど話題になったわけだ)、ドラマティックであるのと同時に恐ろしいほどリアリスティックな曲であるため、壮大で感動的なイメージから早合点して大仰に歌ってしまうと聴き手を冷めさせてしまいやすいことなど、その要因はいくつもある。ルーシー・ヘンシャルは芝居的な歌唱と身振りを最小限に抑えながら、音楽と歌詞に対する微に入り細を穿った解釈力と、その解釈を声に具体化させる精緻で着実な技巧によってこの曲の持つポテンシャルのすべてを引き出してみせる。どこまでもまっすぐな彼女の声には、人生のあらゆる辛酸を受取って表現するだけの繊細さと芯の強さのしなやかな振り幅が備わっている。

上の映像の音声はCDアルバム『Les Miserables 10th Anniversary Concert』にも収められているが、こちらはミキシングでオーケストラの音量が低く抑えられており、YouTube版(DVD版)ほどのダイナミックさは感じられない。「I Dreamed a Dream」の場合、歌い手の身体––––やがて死ぬ、限定された力と体積を持った身体––––が見えている状況で聴くこともまた意味のあることのように思えるので、この映像がウェブ上で簡単に見られるのはとてもありがたいことだ。