『UNDERTALE』のサウンドトラックについて真面目に考える–––【中編】暴力と音楽の共通点

この記事はゲームの核心についての記述を含みます。

これは前編・中編・後編からなる記事の中編です。前編はこちら後編はこちら

止まらない暴力の連鎖

登場人物たちの一挙一動、セリフの一言一句が綿密に絡み合って互いに影響を及ぼし合う『UNDERTALE』の地底世界。国内外のさまざまな分析サイトに目を通し、その小宇宙的な成り立ちについて深く知れば知るほど、このゲームがほぼ1人の人間の手で作られたということが––––というか人間の手で作られたということが––––信じられなくなってくるほどだ。しかし「あい きぼう おもいやり」と「力」のあいだを揺れ動く物語として『UNDERTALE』を見るとき、最も重要な登場人物として浮かび上がってくるのがフラウィであることは間違いないだろう。

フラウィは主人公が最初に出会うキャラクターであると同時にラスボスでもあり、その全貌を知るには三大ルート(モンスターをすべて殺す「虐殺ルート(Gルート)」、一体も殺さない「真の平和主義者ルート(Pルート)」、そのどちらでもない「中立ルート(Nルート)」)をすべてプレイする必要があるという、複雑で奥行きのある人物像を持っている。やや長くなるが、ゲーム開始時までの彼の過去––––それはそのまま『UNDERTALE』というゲームの舞台設定でもある––––について最終的にわかることをまとめると次のようになる。

(以下のストーリーに関する話はサウンドトラックをフルに楽しむために必要ではあるのですが、やや細かい話ではあるので、音楽を大まかに楽しめればいいという方はひとまず下の「変化する2つのライトモチーフ」のところまで飛ばしてそのまま後編まで進んでいただき、気が向いたら戻ってきてください。)

地底に閉じ込められるモンスターたち

むかしむかし、人類とモンスターは地上で平和に暮らしていた。しかし「人間のタマシイを取り込むことで強大な力を得る」というモンスターたちの能力を恐れた人類は、戦争を起こしてそれに勝利し、モンスターを地底に追いやって魔法のバリアで閉じ込める(地上からは自由に入れるが、地底からバリアを通り抜けるには人間とモンスターのタマシイが1つずつ必要で、バリアを破壊するには人間のタマシイが7つ必要になる)。

人間の子どもの落下

ある日、1人の人間の子どもが初めて山の穴から地底の世界に落ちる。それを発見したモンスターの子どもアズリエルがその人間(以下「最初の人間」と呼ぶ)を助け起こして城に連れて帰ると、彼の両親であるアズゴア・ドリーマー王とその妃トリエルは「最初の人間」のことを我が子のように受け入れ、アズリエルと「最初の人間」はきょうだいのように親しくなり、この明るいニュースに地底は希望に満ちる。

※「最初の人間」は一般的にはファンの間で「キャラ(Chara)」という名前で知られているが、この名前はゲーム中にはほとんど現れないため、また(後で述べるように)通常は「キャラ」よりもずっと重要な名前が与えられるため、この記事では「最初の人間」と呼ぶ。

「最初の人間」の計画

しかし何らかの理由で人類を憎んでいた「最初の人間」は、あるときアズリエルに1つの計画を持ちかける。それは「最初の人間」が有毒なバターカップの花を故意に食べて死に、そのタマシイをアズリエルが取り込んでバリアを抜け、地上で人間のタマシイをさらに6つ集めることでバリアを破り、モンスターたちを解放することだった。気が進まないながらも「最初の人間」のことが好きだったアズリエルは説き伏せられるようにして計画に同意する。

地上での事件

「最初の人間」が死に、アズリエルがそのタマシイを取り込むと、強大な力を得たアズリエルの身体を動かす能力はアズリエルのタマシイと「最初の人間」のタマシイのあいだで共有される。「最初の人間」のタマシイはアズリエルの身体を操って自らの遺体を持ち上げ、地上に出て、生まれ故郷の金色の花畑に遺体を横たえる。だがその様子を見た村人たちはアズリエルが人間の子どもを殺したものと早合点して彼を襲う。計画の本当の目的は人類に復讐することだった「最初の人間」は反撃して村人たちを殺そうとするが、そんなことをしたらふたたび人類全体との戦争になってしまうと考えたアズリエルは「最初の人間」の意志に抵抗し、手出しをさせないまま遺体を抱えて地底に戻る。

アズリエルの死

村人の襲撃から深い傷を負っていたアズリエルはまもなく死んで塵となり、城の庭に撒かれる。そのとき、「最初の人間」の遺体に付着したまま持ち帰ってきた金色の花の種に塵がかかり、アズリエルの意識(英語では「essence」)が種の中に宿る。一夜にして2人の子どもを失ったアズゴアは怒りに震え、またこの事件に絶望した地底のモンスターたちにふたたび希望を与えるためにも、今後は地底に落ちてきた人間を1人残らず殺し、タマシイが7つ集まった暁にはバリアを破ってモンスターたちを解放すると宣言する。殺意に囚われた夫に嫌気がさしたトリエルは城を離れて遺跡に住み移り、そこに「最初の人間」の遺体を埋葬する。

研究者たちの実験

その後6人の人間の子どもたちが地底に落ちて命を落とし、そのタマシイはアズゴアのもとで保管される。一方、アルフィーら王室の研究者たちはモンスターのタマシイをうまく利用すれば人間のタマシイを使うことなくバリアを破れるかもしれないと考えるが、生きているモンスターのタマシイを取り出すことは難しく、死んだモンスターのタマシイはすぐに消えてしまう。人間のタマシイがなぜ死後も残り続けるのかについて調べてみると、人間には運命を変えたい、生き続けたいと願う強い「ケツイ(determination)」があるからだということがわかる。研究者たちは国じゅうから危篤状態のモンスターを集め、人間から抽出したケツイを注入してみる。それと同時に、モンスターたちから集めたタマシイを容れておく「器」として使うため、城の庭に初めて咲いた金色の花にもケツイを与える。

フラウィの誕生

しかし結局モンスターのタマシイを取り出せないまま実験は失敗に終わり、花も城の庭に戻される。アズリエルはそこで目を覚まし、自分が花の姿になっていることに気づく。死んでタマシイを失い、ケツイだけを新たに得たアズリエル(フラウィ)からは思いやりの気持ちが消えていて、誰と接しても心が動かなくなっている。絶望した彼は「最初の人間」と同じように自殺しようとするが、生きようとするケツイを持った彼は「セーブ」と「ロード」と「リセット」の力を獲得していて、死にかけると「セーブポイント」に戻れるようになっていることに気づく。初めのうち、彼はその力を活かして地底世界の時間の流れ(タイムライン)を操り、モンスターたちの悩みを解決してやったりしていたが、何度もセーブとロードを繰り返すうちに彼らがどんな反応をするかすべて読めるようになり、飽きてしまう。地上で村人に反撃していればこんなことにはならなかったはずだとずっと悔やんでいた彼は、次第に「この世は殺すか殺されるかだ」という世界観を持つようになり、「こいつらを殺してみたらどうなるんだろう」と、モンスターたちを殺し始める。

このようにして心優しいアズリエルは冷酷非道なフラウィに変わり果ててしまう。ここで補足しておきたいのは、『UNDERTALE』ではプレイヤーがゲーム開始時に主人公につけたと思った名前は、実は「最初の人間」の名前であることが後で明らかになるということだ。RPGの始まりで名前をつけること(多くの場合プレイヤー自身の名前がつけられるだろう)が自分の分身を作ることであると言えるなら、アズリエルが死んでフラウィとして生まれ変わる最初のきっかけ(地上に出る計画)を作ったのは「最初の人間」であるのと同時にプレイヤー自身でもあることになり––––つまり人類に復讐するという目的のために図らずもアズリエルを死なせた「最初の人間」の暴力性は、前編で説明した、RPGをクリアするという目的のために悪意なくモンスターを殺してきたプレイヤーの暴力性の「たとえ」であることになり–––このことからフラウィはプレイヤーの暴力性が生み出した存在であることがわかる(直接には村人と研究者から暴行・虐待を受けているアズリエル/フラウィは何重もの被害者である)。

しかしプレイヤーの暴力性が過去のRPGのゲームシステムに由来する致し方ないものであったのと同じように、「最初の人間」も一見何の理由もなく横暴なようで、恐怖心から戦争を起こしてモンスターを地底に閉じ込めてしまう人類のことを憎んでいるというのは、『UNDERTALE』のモンスターたちの無垢さを思えば当然のことのようにも思える。「最初の人間」が人類を憎んでいる理由は最後まで明かされないため推測の域は出ないが、元を辿れば「最初の人間」の憎しみすら人類が抱える暴力性に触発されたものと言えるのではないか。そして『UNDERTALE』の人類と過去のRPGは、「モンスターは力によって駆逐すべき対象である」という考え方において共通している。

整理すると、『UNDERTALE』では暴力がゲーム内とゲーム外でパラレルな関係を描きながら以下のように連鎖していることがわかる。

『UNDERTALE』の人類=過去のRPG

人類を憎んでいる「最初の人間」=過去のプレイヤー

「最初の人間」の計画に巻き込まれて死んだアズリエル/フラウィ=過去のRPGで過去のプレイヤーによって殺されたモンスターたち

フラウィの攻撃対象になっているモンスターたちは本来ならこの連鎖の末端にいるはずだが、フラウィが何度もセーブポイントに戻りながら彼らを殺す「閉じた」タイムラインは『UNDERTALE』の主人公が地底を旅するタイムラインとは異なっているため(ややこしい話だ)、モンスターたちが受けた暴力を誰かに引き継ぐことはないだろう。しかしフラウィに攻撃される相手は他にもう1人いる。『UNDERTALE』の主人公だ。

物語が始まる遺跡の金色の花畑。一説によれば、ここがトリエルの埋葬した「最初の人間」の墓だという

変化する2つのライトモチーフ

Gルートの場合、大半の音楽が音楽と呼べないものになってしまうことは前編で述べた通りだ。ではNルートとPルートの場合はどうだろうか。これらのルートではストーリーが進むとともに暴力をめぐる物語に一定の決着がついていき、その象徴であるフラウィにも変化が起こる。トビー・フォックスは主に2つのライトモチーフを使って、物語の変化とフラウィの変化それぞれの意味をプレイヤーに対して感覚的に理解させている

1. Your Best Friend(キミの親友)

主人公の冒険は地底の金色の花畑の上から始まる。プレイヤーによって操作される主人公の「ケツイ」は実験によって注入されたフラウィの「ケツイ」よりも強いため、ゲーム開始とともに地底世界のタイムラインを操る権利は主人公に移行する(要するにプレイヤーは普通のRPGのようにゲームをセーブしたりロードしたりリセットしたりすることができる)。少し歩くとすぐ、主人公はフラウィと出会う。わかりやすく明るいが空疎で深みを欠いた「Your Best Friend(キミの親友)」は、そのときに流れるフラウィのテーマ曲だ。

Your Best Friend

【フラウィモチーフ 0:08~】

このメロディー(ここでは仮にフラウィモチーフと名づける)に漂う不吉な予感を裏づけるように、フラウィは主人公を騙して痛めつけ、「このせかいでは ころすか ころされるかだ(KILL or BE KILLED)」というRPGの鉄則を––––受け継がれてきた暴力の記憶を––––叩き込む。こうして主人公および主人公を操作するプレイヤーは暴力の構図に組み込まれる。

『UNDERTALE』の人類=過去のRPG

人類を憎んでいる「最初の人間」=過去のプレイヤー

「最初の人間」の計画に巻き込まれて死んだアズリエル/フラウィ=過去のRPGで過去のプレイヤーによって殺されたモンスターたち

主人公=現在のプレイヤー

これを見てわかるのは、フラウィは過去のプレイヤーによって引き起こされた暴力を現在のプレイヤーに引き継いでいる(復讐している)だけということだ。フラウィはプレイヤー自身の姿を映す鏡のような存在で、プレイヤー(主人公)が鏡の向こう側にいる過去の自分(「最初の人間」)とどう向き合うかによって、あいだに立つ彼の状態も変化することになる。その結果、フラウィがふたたびアズリエルとしての心を取り戻し始めるとき、フラウィモチーフは別のモチーフに置き換えられていく

※主人公と「最初の人間」が同一人物なのかどうか––––主人公は墓の中から蘇った「最初の人間」自身なのか、それとも地上から落ちてきたときに「最初の人間」の亡霊のようなものに憑りつかれたのか––––はファンのあいだで活発に議論されている問題だが、サウンドトラックとは直接関係がないためここでは特に考えない。ひとつ言えるのは、後編で見ていくように、プレイヤーが『UNDERTALE』でモンスターを殺すことをやめてアズリエルを救えば、主人公の名前が「フリスク」であることが判明して「最初の人間」と別人であることが確定する一方、プレイヤーが過去のRPGと同じようにモンスターを殺し続ければ、主人公は名前を与えられないまま「最初の人間」と一体化してしまうということだ。それは過去に過ちを犯した人が心を入れ替えて罪を償うかどうかによって「別人のように生まれ変わった」とも「やはり人は変わらない」とも言えるのと似ている。

2. Ruins(いせき)

Ruins

【喪失感モチーフ 0:04~】

「Ruins(いせき)」は主人公がフラウィと出会った後、トリエルに導かれて遺跡を散策するときに流れるフィールド曲。そのため感情表現という意味ではゼロに近いが、どこか荒涼とした雰囲気も漂っている。遺跡はかつて人間との戦争に負けたモンスターたちが地底に作った最初の都で、アズリエルと「最初の人間」が初めて出会い、地底に希望が生まれるきっかけとなった場所でもある。しかし現在はほとんどのモンスターがスノーフルの町やアズゴアのいるニューホームへ移り住み、トリエルと他のわずかなモンスターたち、そして「最初の人間」の墓だけが残っている。その名の通り、遺跡はかつて存在していたはずの大切なものが失われてしまった場所なのだ(「廃墟」の意味も持つ英語の「ruins」は日本語の「遺跡」よりもさらに喪失のニュアンスが強い)。こうした理由から、この曲のメロディーを喪失感モチーフと呼ぶことにする。

このモチーフは同じく物語前半のフィールド曲である「Waterfall(ウォーターフェル)」と「Quiet Water(やすらぎの水辺)」にも含まれていて、前半のボスであるアンダインとのバトル曲「Spear of Justice(正義の槍)」に至って最も華々しい形で現れる。

Waterfall

【喪失感モチーフ 0:27~】

Quiet Water

【喪失感モチーフ 0:06~】

Spear of Justice

【喪失感モチーフ 0:36~】

しかしなぜ勇猛果敢たるアンダインのテーマ曲が喪失感を湛えているのだろう。それは彼女がロイヤルガードの隊長として、モンスターたちが人間からのさらなる犠牲を被ることを防ぐ任務に就いているからではないか。彼女はすでに多くのものが失われてしまったことを誰よりも強く認識していて、これ以上何ひとつ失うわけにはいかないという悲壮な「ケツイ」を抱いているのではないだろうか(ボスモンスターたちは通常のモンスターとは異なり、人間と比べると微量ながら「ケツイ」を持っている)。

最後には消えるフラウィモチーフとは違って、喪失感モチーフは部分的に形を変えながらもエンディングまで残り続ける。しかしそのメロディーの聴こえ方がストーリーの進展とともに大きく変わっていくという点で、サウンドトラックの中でも特殊な位置づけにあるライトモチーフだ。

遺跡の遠景

変化を起こす3つのライトモチーフ

おどけた笑顔の裏で破滅的な衝動をたぎらせる「My Best Friend」のフラウィモチーフと、失われたものの前に静かに打ちひしがれる「Ruins」の喪失感モチーフ。「力」がもたらす殺伐とした結末を表現するこれらのメロディーを少しずつ温め、励まし、目を覚まさせる、音楽版の「あい きぼう おもいやり」のような曲が3曲ある。フラウィモチーフ喪失感モチーフを物語の展開に伴って変化する受動的なライトモチーフと呼ぶなら、これらの曲に含まれるメロディーは物語と一緒になって変化を引き起こす能動的なライトモチーフだ。

1. Once Upon A Time(むかしむかし…)

Once Upon A Time

【懐かしさモチーフ1 0:00~】

【懐かしさモチーフ2 0:29~】

【懐かしさモチーフ3 0:59~】

ゲームのオープニングで人間とモンスターの歴史が語られるときに流れるこのメインテーマは、ファミコン時代の8ビットサウンドによってその歴史が古いものであることを表現するとともに、すべてが始まるスタート地点のBGMとして、帰るべき場所の安心感を醸し出している。デジタル大辞泉によれば、「懐かしい」という日本語には「かつて慣れ親しんだ人や事物を思い出して、昔にもどったようで楽しい」という時間的な親密さを表す意味と、「心がひかれて離れがたい」という空間的な親密さを表す意味(「懐く」の意味に近い)があるが、「Once Upon A Time」にはそんな言葉がぴったりだ。よってこの曲のメロディーを懐かしさモチーフと呼ぶ(曲中のセクションごとに3種類に分ける)。この曲は『MOTHER』のオープニング曲へのオマージュでもある。

例えば懐かしさモチーフはトリエルの住む「ホーム」のための音楽に使われている。こちらではアコースティック・ギターの揺らぐリズムが素朴な温かみを感じさせる。打ち込みで作られたとは信じられないほどの自然さだ。

Home

【懐かしさモチーフ1 0:37~】

【懐かしさモチーフ2 1:12~】

2. Snowdin Town(スノーフルのまち)

変化を起こす曲の2つ目は、ゲームに現れる中では唯一たくさんのモンスターたちがまとまって暮らしている町スノーフルのテーマ曲「Snowdin Town(スノーフルのまち)」だ。

Snowdin Town

【共生モチーフ 0:57~】

町への道すがら流れるフィールド曲「Snowy(雪景色)」の発展形で、快活なメロディーとスタッカートで演奏される伴奏が印象的。雪と氷に閉ざされた森の中、モンスターたちが若干の悩みや不満を抱えながらも互いに目を配り、それなりに幸せそうな日々を送っているスノーフルの情景が浮かんでくる。前半のメロディーもライトモチーフとしていくつかの曲で用いられてはいるが、ここでは他者とともにあることの豊かさを感じさせる終わり間際のメロディーを共生モチーフと名づけることにする。厳密に言えばこれ自体が「Once Upon A Time」の懐かしさモチーフ2の変奏なのだが、別のライトモチーフとして扱う。

共生モチーフは例えば2人の男性ロイヤルガードがバトル中に互いの思いを伝え合う「Confession(告白)」で使われている。ここでもやはり他人同士がともに生きていくことがテーマになっている。

Confession

【共生モチーフ 0:00~】

3. Memory(思い出)

最後の曲は、ウォーターフェルの道端で雨(水滴?)に打たれている石像に傘をさしてやると流れる「Memory(思い出)」だ。

Memory

【思い出モチーフ 0:00~】

これは特にやらなくてもストーリーの進行に差し支えない「おまけイベント」なので、プレイヤーによってはこの曲を聴くことなく先に進むことになる。ゲーム展開上キーとなる曲がこうしたオプショナルなイベントに使われていることは、『UNDERTALE』ではプレイヤーが自分の意志で選ぶ行動がどれだけ重要な意味を持っているかを示していると言えるだろう。日本盤タイトルの通りこのメロディーを思い出モチーフと呼ぶことにするが、雨に濡れている相手に自分が持っている傘を差し出すという行動から察するに、その思い出の内容はきっと思いやりに溢れた、喜ばしいものだったに違いない。

暴力から音楽へ

懐かしさ、共生、思い出。美しい言葉を重ねたところで何にもなりはしないが、音楽はこれらの観念が現実に体験されるときに人がどんな気持ちになるものなのか、聴く者に実感として伝えることができる。作品内(ストーリー)でも作品外(RPG史)でも暴力の連鎖に終止符を打とうとしているゲームが音楽に基づいてプログラミングされていることは、単なる偶然とは思えない。音楽と暴力は、一見この上なくかけ離れたもののようで、1つの共通点を持っている。それは、どちらもつらさや悲しみや孤独感を抱えた人が使えば、他人を自分と同じ気持ちにさせることができるということだ。音楽は、メロディーやハーモニーの不思議な効力によって。暴力は、痛みがもたらす恐怖と苦しみによって。音楽と暴力ほど、人から人へ感情を直接的に伝達することのできる手段はない。音楽が尊い理由の1つは、だからそれが暴力を不要にするからなのだ。「Imagine」や「One Love」のように言葉にして平和を訴える以前から、音楽はさもなくば暴力として暴発するほかなかったかもしれない強烈な感情を演奏者や聴き手から吸い上げ、人と人のあいだで安全に通い合わせ、それによって逆に人々を孤独から救ってしまうことで、日々世界を平和にしてきたのだ。

バスケットボール選手が軸足を中心に180度ターンするときのように、トビー・フォックスはこの共通点を軸にして暴力の連鎖を音楽的な感情の交流に転換する。後編ではゲームのクライマックスにおいて懐かしさモチーフ共生モチーフ思い出モチーフが混ざり合いながらフラウィモチーフ喪失感モチーフに起こす変化に注目しながら、サウンドトラックがいかにしてプレイヤーが感じる心を取り戻すことに貢献しているのかについて考える。

後編はこちら