20代の後半はなんだかんだあって気の塞ぐ時期だった。仕事でも私生活でもあまりうまくいかないことが多かったが、そのころ妙につらかったのは、会社からの帰り道、スーパーマーケットに立ち寄るときだった。
外食はすでに飽きるほどしていたし、疲れてもいたので、自分の部屋でゆっくり夕食を取りたかった。しかし食欲があるのかどうかよくわからず、何を食べればいいのか全然思いつかなかった。化学調味料入りの加工食品には抵抗があるくせに、自分で何かを作る気力はなかった。でも何か口に入れないとやつれてしまう。それで私は何もカゴに入れられないまま店内をただぐるぐると歩き続けていた(成城石井という無添加の総菜を商う素晴らしいお店と巡り合うのは数年後のことである)。
周りにこの話をすると共感してくれる人とまったく理解できないという人にわりとはっきり分かれるのだが、生活史研究家である阿古真理は『料理は女の義務ですか』(新潮新書)の中で、フランスのある社会学者が実施した調査の結果、料理に関わる家事の中でもっともつらく感じられているのが「買いもの」であることが判明したというエピソードを紹介しながら、このように書いている。「料理を担う人が生活全体を考えて行う買いものは、頼まれてする『お使い』とは次元が異なる。栄養のバランスを考え、前後の日の献立、食卓に座る家族の数など状況に合わせて献立を考えつつ行わなければならない。予算は限られ、欲しい食材があるとは限らない。店先で決めようと行って、ピンとくるものが見つからず悩む場合もある」(p.150)。私自身は一人暮らしだったとはいえ、当時このくだりに出合っていたら、どれだけ気持ちが楽になったことだろう。
そのように地下の大きなスーパーマーケットを堂々巡りしていたある夜、私の第4世代iPod nanoからこんな曲が流れてきた。
People all over the world People all over the world People all over the world are starving for affection 世界中の人々は 世界中の人々は 世界中の人々は愛情に飢えている
こうして文面で見るとなかなか怪しい歌詞ではあるが、その憂鬱げな声に確信めいたものが込められていたこと、そしてそこで歌われているのが「love」などという崇高で思念的なものではなく、もっとささやかでありふれた、好意や親愛を意味する「affection」であるところが私の気を引いた(ジーニアス英和辞典には「(穏やかな持続的な)愛情」という素敵な訳語が載っている)。いや、以前からこの曲、ジョナサン・リッチマンの「Affection」は何度も聴いてはいた。でもその時はまるで初めて聴くかのように彼の言葉が私の耳に飛び込んできたのだ。それから彼はこんなふうに歌った(1:55~)。
People are starving just to be touched People are starving just to be hugged and kissed Well you've got radios and magazines and cars And there's telephones and books everywhere But plain old affection sits there over in the corner And it says, "Hmm it's like they've forgotten that I'm there" You know it takes gall to reach out and try affection On people who maybe want your touch but you can't tell 'Cause they can laugh and that's like rejection And you probably won't like that very well 人々はただ触れられることに飢えている 人々はただハグされ、キスされることに飢えている ラジオも雑誌も車も持ってるし 電話や本もそこら中にある でも昔ながらの素朴な愛情は部屋の隅のほうに座って 「うーん、みんな僕がここにいることを忘れてるみたいだな」と言っている 他人に手を差し伸べて愛情を表現してみるのには図太さが必要だ 君に触れられたいのかもしれないけど、本当にそうかはわからない人たちに なぜなら彼らは笑うし、それは拒絶みたいに見えるから そして君はそのことにあまりいい気持ちはしないだろうから
どのようにお聴きになっただろうか。私の感覚では、この曲を含むアルバム『I’m So Confused』(1998、Vapor Records)はダサい。それはジョナサン・リッチマンがザ・モダン・ラヴァーズとして活動を始めた1970年以来、常に芸術としての格よりも語りかけのダイレクトさを優先してきたというもともとのスタイルとも関係があるだろう。特に初めてバミューダ諸島を訪れてカリプソを聴いたり、病院のお年寄りや子どもたちのためにコンサートを開いたりするようになった1973年頃からは、彼は「幼児の耳を傷つけるようなバンドはクソ」という考えのもと、演奏の音量を極端に下げ、自分の正直な気持ちをわかりやすく親しみやすく伝えることに気を配るようになった。
ジョナサン・リッチマンの最初にしていまだに唯一の伝記であるティム・ミッチェルの『There’s Something About Jonathan』(1999、未邦訳)には、当時のドラマー、デヴィッド・ロビンソン(モダン・ラヴァーズを2度にわたって脱退したのちにザ・カーズに加入)とのこんな象徴的なエピソードが紹介されている。
ジョナサンはデヴィッドのドラムキットの規模を縮小し始め、自分の声がクリアに聴こえにくくなるおそれのあるものを少しずつ排除していった……まもなくデヴィッドに残されたのは小さなタムタムだけになった。これでもまだ少しうるさすぎると判断すると、ジョナサンはそれにタオルを掛け、音はかろうじて聴こえる程度になった。それからジョナサンはデヴィッドに「そいつの側面を軽く叩けるかな」と頼んだ。デヴィッドは従ったが、それすらもうるさすぎると言われる始末だった。
Tim Mitchell, “There’s Something About Jonathan”, Peter Owen Publishers, p.101
このような彼の姿勢をダサさと呼んでしまうことには語弊があるかもしれないが、彼がプログレッシヴ・ロック全盛の時代に最もファッショナブルだった方向性––––技術の洗練と曲の長大化––––とはまったく異なるラインにいたことは確かだろう。当時のモダン・ラヴァーズの写真は、ジョナサン・リッチマンの美意識が彼を支えるバンドのメンバーたちとすら食い違っていたことを伝えている。彼は60年代半ばからビートルズやボブ・ディランらによって醸成されてきたシリアスな音楽リスナー層の「ミュージシャンは崇拝の対象になるような高尚な存在であるべきだ」という無意識の期待を平然と裏切ることによって、逆に彼らの懐に入り込むことに成功してきたのだ。このことは彼がデビュー前のセックス・ピストルズに「とてもとても大きな影響」(グレン・マトロック談、前掲書p.92)を与え、一部の批評家から「パンクの始祖(godfather of punk)」と称される所以にもなっている。
だがこの『I’m So Confused』には、そんな確信犯的なダサさに加えてもう2つ、彼の音楽をさらにダサくしてしまう要因があった。
1つめは一昨年亡くなったカーズのリック・オケイセックによる瑞々しいプロダクションである。ニール・ヤングのレーベル<Vapor Records>への移籍後初のリリースとなった前作『Surrender to Jonathan』(1996)で新たに導入されたオーガニックなホーンとオルガンは、今作では艶やかなシンセサイザーに取って代わられ、ジョナサン・リッチマンのディスコグラフィの中でも飛び抜けてクリーンでハイファイなサウンドに仕上がっている。この80年代的な華美なアプローチが上で述べたような彼の持ち味とすこぶる相性が悪いことは言うまでもないだろう。『I’m So Confused』は古くからのファンたちの反発を買い、その評価を著しく落とすことになった。上述の「Affection」は彼が1979年に発表した曲のセルフカバーだが、ダラス・オブザーヴァー紙は『I’m So Confused』リリース時のレビューで、「愛らしい『Affection』はその多くが不要なシンセサイザーを追加して再録されている」と皮肉混じりに論評している。
そしてもう1つの要因であり最大の要因が離婚である。前作のリリース直前、彼は14年間結婚生活を共にした妻ゲイルと別れていた。1970年代半ば、観客の1人として見知っていた彼女が「We love you!」とライブ中に叫ぶのを聞いたのをきっかけに恋に落ちたジョナサンは、彼女を振り向かせるまで4年間(別の男性と結婚していた彼女はその間に男児を出産している)、折に触れて電話をかけ、手紙を書き、彼女のための曲を作り、最終的に1982年に結婚する。1985年には娘にも恵まれたその関係が––––彼にとっては20歳過ぎから45歳まで続いた関係が––––破綻してしまったのだ。メディアとのやりとりに積極的でない彼はその事実を公にしていなかったが、『I’m So Confused』の収録曲の歌詞を聴けば、彼の私生活に何らかの重大な問題が生じていることは明らかだった。
I want people to love me like I love I want to open up my lunch box Find a peanut butter and jelly sandwich in there Just like when I was six years old and someone loved me Oh, love me like I love Love me like I love Well when I was six years old I never dreamed I would grow up to feel lonely Oh, love me like I love 僕が愛するようにみんなに愛してもらいたい 弁当箱を開けて ピーナッツバターとジャムのサンドウィッチが入っているのを目にしたい 僕がまだ6歳で、愛してくれる人がいた頃みたいに ああ、僕が愛するように愛して 僕が愛するように愛して 6歳だった頃には 大人になって寂しい思いをするなんて夢にも思わなかった ああ、僕が愛するように愛して (「Love Me Like I Love」)
Here I am driving around at 3 am Looking for people who I don't know They said, "Party at 1-32" And I said, "Yeah, I wanna go" Because the night is still young And the bed is just cold And I'm tired of spending time all alone 午前3時、こうして車でうろついている 知らない人たちのことを探して 「1丁目32番地でパーティ」って人から聞いた 「うん、行きたい」って僕は言った だって夜はまだ若くて ベッドはひたすら冷たくて 一人きりで過ごすのはもううんざりだから (「The Night Is Still Young」)
Well I can't find my best friend To help me through this night I can't find my best friend Because she's somewhere out of sight I miss her, I miss her And let there be no doubt When I can't find my best friend The world turns inside out I can't find my best friend And the world's turned inside out 一番の親友の姿が見えなくなって この夜を乗り切れない 一番の親友はもういない 彼女はどこか遠いところへ行ってしまったから 寂しいんだ、会いたいんだ この際はっきりさせておこう 一番の親友がそばにいないとき 世界は裏返しに回ってしまう 一番の親友がそばにいなくて 世界は裏返しに回ってしまった (「I Can’t Find My Best Friend」)
アルバムの2曲目くらいまではまだ元気だ。でもそれ以降はほぼずっとこんな調子である。ファンたちから期待され、おそらくは彼自身も期待しているはずの、明るく楽しい、子どもっぽくてノスタルジックな過去25年間のジョナサン・リッチマンを維持できなくなっている。孤独な少年時代を過ごした彼の音楽には初期の頃から寂しさの要素が含まれてはいたが(モダン・ラヴァーズの代表曲「Roadrunner」は恋人の不在についての歌である)、それはいつも快活な曲の内側にひっそりと隠されていた。寂しさは彼にとって前提であり、主題––––愛や情熱、信念、真摯さ––––ではなかったからだ。しかし『I’m So Confused』で彼は自分がもう他の誰かに寄りかかることなしにはやっていけないことを打ち明けてしまっている。
なにしろアメリカは1つの音楽ジャンルに「エモ」という名前をつけるような国なので、音楽の中で繊細な感情(エモーション)がナイーヴに表明されていることは1つの特殊な状況として、明確な特徴として、みなされやすい。この点は大多数の音楽に繊細な感情がナイーヴに込められてきた演歌-歌謡曲文化に基づく日本のポピュラー音楽とは事情が大きく異なっている。社会的な場でみだりに脆さを見せたり自分を卑下したりすることを「弱腰」と捉える西部劇の美学のようなものが、特にアメリカの男性には、うっすらとしかししぶとく染みついている(そこからの避難所としてのエモは、同じく青年期の苦悩を扱うことが多いメタルとともに、女性アーティストの割合が不釣り合いに低い)。
エモが21世紀に入ってからようやく爆発的な人気を得て、このところは「エモ・ラップ」という過去には考えられなかった取り合わせの音楽が出てきたことからもわかるように、またボブ・ディランが最初の妻との破局について歌ったとされるアルバム『Blood on the Tracks』が昨年改訂されたローリング・ストーン誌の「史上最高のアルバム500枚」で2003年版の16位から9位に上がり、彼の全作品の中で最高位になったことからもわかるように、アメリカがしょんぼりした男性の音楽––––自分の弱さを弱さとして受け入れている音楽––––を正当に評価するようになったのはごく最近のことだ。ライブではしばしば感極まって涙を流し(女性客たちはステージにハンカチを投げ入れた)、「アイディアやテクニックよりも感情が重要だ」とキャリアを通して主張し続けてきたジョナサン・リッチマンが真のアイコン的な人気を獲得したのが自国ではなくヨーロッパ、とりわけスペインだったのも、ある程度必然と言えるのかもしれない(彼の伝記を書いたティム・ミッチェルもイギリス人である)。
このようなダサさの三重苦––––敷居の低い音楽性、流麗な音作り、「ヤワ」な感情の吐露––––のため、『I’m So Confused』はこれまでメディアやファンからほぼ完全に黙殺されてきた。確かに歌詞ひとつ取ってもこのアルバムは大部分が日記の次元にまで後退していて、それは想像と創造を事とする芸術家にとって、ひとつの死に方のようにすら見える。しかし、スーパーマーケットという生活感あふれるダサい地獄からの出方がわからなくなっていた私にとって蜘蛛の糸となったのは、まさに彼のそんな死に方だった。「Affection」の歌詞の中で人々から忘れられた愛情の姿を架空の部屋の隅に見つけたのと同じように、ジョナサン・リッチマンは東京の地下で一人ひそかに弱っている私のことも見つけてくれたような気がしたのだ。彼自身の弱さをありのままに歌い、芸術家としてではなく、一人の人間として現れることによって。
上に歌詞だけ載せた3曲を、今度は改めて音楽として聴いてみてほしい。何かそこに新しい発見はないだろうか。
これらの曲は果たして明るいのだろうか、それとも暗いのだろうか? 歌詞だけ取れば暗いと言えそうな気もするが、そこにはチャーミングな明るさを持った音楽がぴったりとくっついて混ざり合っている。暗いと同時に明るいので、「これは楽しい曲ですよ」「これは悲しい曲ですよ」と瞬時にわかるようになっているポップソングを聴き慣れた私たちの耳には、中途半端な薄明りのように感じられもする。両側から大きな力で引っ張られて釣り合っているものは、その場にただ置かれているものと一見同じに見えるのだ。
しかし注意深く聴いてみれば、これらの曲がピアノ線のような緊張と細かな震えを宿していること、笑顔にも泣き顔にも見える複雑な表情を持っていることがわかる。そのような緊張は通常、それを抱え込んだ心を疲れさせ、余裕を失わせる。結果として音楽は深刻になり、聴く者を遠ざけてしまう。しかしジョナサン・リッチマンの場合はそうはならない。なぜなら彼は世界中の人々が愛情に飢えながらそれを顔には出さない張りつめた心を持っていること、自分もまたその中の一人にすぎないことを知っているからだ。苦境にある自分自身に対するそんなリラックスした優しい目線––––いや、やはり愛情(affection)と言うべきだろう––––が、温かな包容力となって私たちのことも受け入れる。
気が塞いでどうしようもないとき、今でも私は『I’m So Confused』を聴き直す。最後の曲が終わる頃、心の落ち込みはいつの間にかそれ自体として存在することをやめていて、単にその入り組んだ陰影によって人の心を豊かにする人生の「綾」を浮かび上がらせているにすぎないことに私はいつも気づかされる。人とは違う、人から笑われるかもしれない、まっすぐで無骨で飾らないものの中にこそ、そしてその「ダサさ」を物ともしない広やかな心のあり方にこそ、人にとって不可欠なもの、人を生かすものが隠れていることをこのアルバムは教えてくれる。