2022年のベスト・アルバム6枚

好きな音楽について語るとき、英語圏では「私はこの曲に本当にrelateできる」という表現をよく使う。音楽が伝えようとしていることが自分のことのように「わかる」、「共感できる」という意味だが、根本にあるのは自分とその曲とのあいだに何らかの関係(relation)があるように感じるという感覚だろう。逆に言えば、人は自分との関係が感じられない音楽を好きになることはないということなのかもしれない。自分がどういう状況に置かれているかによって、人が好きになる音楽はまったく変わってくる。

では今年の私がどういう状況だったかというと、まったくやる気の出ない年だった。遅くまで起きて、寝たいだけ寝て、必要なぶんだけ働いて、酒を飲んでまた寝ていた。たまに元気が出たときだけ風呂に入り、掃除や洗い物をした。精神衛生的に(身体衛生的にも)良くないサインばかりだが、そのことに罪悪感を持っても事態を悪化させるだけなので特に何も感じないことにした。そういう時期もある。そういう時期が昨年以来あまりにも長く続くので(さらには人生ずっとそうだったような気もしてきたので)これはもはや具合が悪いとかではなくそういう性格なのではないかと思ったりもしたが、だとしてもしょうがない。それはそれである。

そんなわけで今年の私はミスチルとラルクばかり聴いていた。「Simple」と「and I love you」。「虹」と「花葬」(どちらも25周年ライブ版)。心が弱っているとき、10代の頃に聴いていた音楽はお粥のように消化しやすい。ビヨンセやロザリアが良いのもわかるし、ブラック・カントリー、ニュー・ロードやブラック・ミディが凄いのもわかる。でも今の私にはどれも作品としての柄が大きすぎて消化どころか咀嚼もできなかった。

ようやく変化の兆しが表れたのは秋もだいぶ深まってからだった。その夜は昭和女子大の人見記念講堂で坂本慎太郎さんのライブがあって、黄色と紫の照明の下、菅沼雄太さんのバスドラムが空間を伝播してくる音の波によって物理的に胸を叩き、西内徹さんのサックスが胸を引き裂くのを感じながら、私は破れた蛹のように、裂けた仏像のように、自分を完全に開いて、そこに音を入れてしまおうと思った。もう自分の中には何も残っていない。だから代わりに音を詰め込んでしまおうと。長い間奏が明けると、「おお夜がゆがむ/君の愛のトラップ/何度でも言うよ/あらためて/何もしたくない」と坂本さんは歌った。その頃から私は少しずつ新しい音楽が聴けるようになり、20年も前に発表されたミスチルとラルクの作品を今年のベストに選ぶという事態はどうやら避けることができた。


Anaïs Mitchell『Anaïs Mitchell』

脚本から音楽まで10年以上にわたって取り組んでいたミュージカル『Hadestown』で2019年度のトニー賞を8部門受賞したアナイス・ミッチェルが久しぶりに個人名義でリリースしたアルバムは、彼女のキャリアの中でも最も親密で個人的な内容。20代の人々が歌うラブソングによって占められているポピュラー音楽の世界で、40代に差し掛かった女性として、妻として、2人の娘の母として、日々の生活からこぼれ落ちる多様な感情を丁寧に汲み取っている。その中心にあるのは強烈な「yearning(切望)」の感覚で、それが彼女の音楽に英米の古い海洋小説にも比すべき空間の広がりと新鮮な空気を与えている。収録曲ごとの出来の差はややあるようにも思うが、足元の地面を見て、それから遠く空を仰ぎ見るような歌を歌えるアーティストが––––そんなふうに人生を受け取れる大人が––––どれだけいるだろう。このような曲を書く人が一人でもいる限りこの世は生きるに値するとすら思えてしまうのは感傷的すぎるだろうか。彼女の音楽との向き合い方に深く共感を覚えて、「いいなぁ、こういう歌うたう人」と初めて聴いていた時には思わずつぶやいてしまった。

Kolb『Tyrannical Vibes』

日々新しい音楽を聴いていると、世の中には既視感のある音楽がいかに多いかということを思い知らされる。いわゆる普通とは違う音楽でも、その違い方が互いに似通っていたりする。それは私に細かな違いを聴き分ける能力がないせいもあるだろうし、似ているからといって必ずしも良くないわけでもないのが音楽なのだが、それでもどこからどう見ても他とは違っている「外れ値」的な作品がたまにあって、ブルックリンを拠点とするマイク・コルブの『Tyrannical Vibes』はそんなアルバムの1つだ。多くの人が「こういうときはこうやるものだろう」と自動思考を作動させるなかで一歩前に進むのにもあれこれ考えてしまうような生きづらい人なのだろうと想像するが、おそらくはそんな生きづらさからこの一人の人間の意思が隅々まで行き渡った、細かな創意の集積によって成り立つ、なんだか微妙に変な音楽が生まれている。アメリカのような大きな国で特定のリスナー層に訴求するためのどんな装置にも潮流にも与せずポップソングを作ることの誠実さに励まされる感じがあって、特に何の気分でもないときのデフォルトの音楽としてよく聴いていた。参加アーティストの一部は以前このサイトでも扱ったザ・クレイドルのアルバムと重なっており、彼らのような才能に触れるたびにニューヨークってやっぱり面白い場所なのだろうなぁと思う。

The Garden『Horseshit on Route 66』

私にとって今年のアメリカ東海岸を代表するのがコルブなら、西海岸を代表するのはこのザ・ガーデンだ。素顔はとんでもない美形なのに2014年頃からなぜか道化の扮装をしている一卵性双生児のシアーズ兄弟が今年リリースした5thアルバム『Horseshit on Route 66』もまた、サウンド自体はノイジーだがその奥に繊細な感性が透いて見える。パンク~ハードコア~インディーロックのスペクトラム上を(ハイパーポップ的な唐突さではなく)水銀のように滑らかに動きながらそれぞれの勘所を捉えた質の高い曲が揃っていて、全体を覆うホラーとユーモアの要素もノヴェルティに傾き過ぎることなくほどよいスパイスになっている。デビューから10年かけて作品の評価を少しずつ上げてきた、ミュージシャンというよりはむしろアスリートみたいな成長曲線は、音楽を純粋に楽しむ彼らの姿勢と、「自分たちだけの世界を作りたい」という彼らが掲げる目標のためのたゆまぬ努力の結果なのかもしれない。ライブではその日の気分でメイクアップをしたりしなかったりするというカリフォルニア的ないい加減さも好きだ。聴けば聴くほど愛着の湧く作品なので多くの人に聴いてほしい。

Gábor Lázár『Boundary Object』

譜面上を左から右へ進んでいく通常の線形の音楽ではなく、非線形の音楽を作ってそれをリアルタイムで一発録音したという、私には皆目見当もつかない方法で作られたハンガリーのプロデューサー、ガボール・ラザールによる『Boundary Object』。一昨年のベストに挙げたライアン・トリーナーと同じソフトウェア「Max」を使っていて、彼の父親であるマーク・フェルとの共作もあるせいかよく似た音をしているが、こちらのほうがより硬派な作風。この手の反響の少ない、密室感のあるサウンドが私はフェティシズム的に好きみたいだ。あらゆる電子音楽の中でもかなり機械的な印象を与える音楽だが、その機械は同時にすごく人間的で、あと一歩のところで機械であることをやめようとしているように聴こえ、人間のことをよく理解した人間によって作られた極めて心理学的なアルバムという気がする。その理知と清廉が心地よく、比較的テンションの高い朝にお茶など沸かして外の景色を眺めながら聴いていた。心というのは不思議なもので、こういう無機質とも取れる音楽にひょいと救われてしまうときもある。

坂本慎太郎『物語のように』

私はもう20年以上熱心に坂本慎太郎さんの音楽を聴いて20回以上は彼のライブを観ていると思うのだが、もうだいぶ前から––––特にソロ活動が始まって以降––––彼の作る曲がいい曲なのかどうか考えるのをやめてしまったようなところがある。もちろん他の曲と比べて好きな曲はいくつもあって、そういう曲は聴く回数も多い。それでも良い悪いとは別に、坂本さんの曲はただそこに「ある」ように感じる。大切な友達がどんな服装や髪型をしていても気にならないように、通学路のお地蔵さんを誰も彫刻的観点から眺めたりしないように、アキ・カウリスマキの映画の登場人物たちが美醜とは無関係の次元に生きているように、私にとって彼の曲はもはや評価の対象としての「作品」ではなく「物」の領域に入っている。批評精神の欠如と言われればそうなのかもしれないが、彼の音楽がある世界とない世界とでは私にとっては大違いで、人が結婚を決めるときというのは誰かのことをこういうふうに思えるときなのではないかと(結婚したことがないのでわからないけど)思ったりする。こうした現象が彼の芸術家としての圧倒的な力量に裏づけられていることはわかっている。しかしその力量がどういう形をしたものかについて触れるにはここではとてもスペースが足りないし、たぶんまだ私の実力も足りない。

Beth Orton『Weather Alive』

昔から視野の隅でぼんやりと認識していたベス・オートンというアーティストが思いもかけず大切な存在になった一枚。パンデミックの影響でレーベルから契約を解除された彼女は、銀行から借金をして、カムデン・マーケットで一目惚れしたおんぼろのピアノで子どもたちが学校に行っているあいだに曲を作り、親しいミュージシャンたちの助けを借りてこのアルバムを初めてセルフ・プロデュースした。側頭葉てんかんとクローン病という2つの持病と付き合いながら50歳を迎えた彼女の震え、かすれ、うわずる歌声は、「自分の意志で生きているが否応なしに生かされてもいる」というあらゆる人間の生の矛盾を霊媒さながらに引き受けた彼女の肉体から何者かによって––––人間を否応なしに生かしている何者かによって––––強引に絞り出されたもののようでありながら、森に降り積もった落ち葉を踏んで歩くような秘めやかな演奏に支えられて、それでも生き続けることの意味を確実に掴み取っていく。世界の美しさから自分が疎外されていることについて歌ったオープニング曲から、かつて幼い痛みを分かち合い、のちにアルコール依存症で亡くした14歳の頃の友人に思いを馳せ、涙を流すことで現実の感触を取り戻していく2曲目の「Friday Night」への流れは、今年の私の音楽体験の中でも文句なしに最も美しい時間だった。