わからないものはわからないまま–––Suicide「I Don’t Know」

この何年か、スーサイドと言えば2ndアルバムからの「Shadazz」と「Touch Me」ばかり聴いていて、それはこれらの曲が妖艶に表現している「身体的接触への素朴な希求」みたいなものに私が何らかのリアリティを感じるからなんじゃないかという気がしている。このアルバムは以前レビューしたジョナサン・リッチマンの『I’m So Confused』と同様リック・オケイセックがプロデュースしたものなので、単に彼の作る音が好きということもあるのかもしれないが。

でも振り返ってみれば、このニューヨークのアウトサイダー2人組の曲で私がこれまで一番聴いたのは、彼らの最後のオリジナル・アルバム『American Supreme』(2002)に収められている「I Don’t Know」だ。特にこのアルバムがリリースされた直後、ちょうどスーサイド熱に浮かされて彼らのライブ盤からソロ作まで手に入るものは片っ端から買い集めていた20歳過ぎの頃には、「こんなすごい曲があるのか」と毎晩のようにベッドに寝転んでヘッドフォンで聴いていた時期があった。

この曲はいま聴いてみてもやっぱりすごい。でもなぜそう感じるのか、これまであまり考えてみたことがなかった。

「I Don’t Know」はひとことで言えば、曲の最初から最後まで「わからない(I don’t know)」と言い続けている曲である。試しに数えてみたら6分足らずのうちに90回も言っている。この曲でヴォーカルのアラン・ヴェガは何もわからずにいる––––何を言ったらいいのかも、何をしたらいいのかも、大好きだったあの娘が今どこにいるのかも、自分が泣くべきなのか、何もせずにいるべきなのか、銃を取って殺すべきなのかも、誰を殺すべきで誰を殺すべきではないのかも、まったくわからない。マーティン・レヴが作る一定のビートとベースパターンに乗せて、彼はわからない事柄の数々を矢継ぎ早に並べていくが、まるで心の容量が溢れ、頭が混乱し、ぐるぐると巡る思考が止まらなくなってしまったかのように、繰り返し同じ話題に戻ってくる。感情が最も昂ったときには暴力的な想念に取り憑かれたり(Get the gun, get the gun, and kill, kill, kill, kill)、行き場のない苦しみを神に訴えたりしている(Oh God, what can I say, what can I say?)。しかしまたすぐにいなくなってしまった女性のことで頭はいっぱいになる。彼の言葉はその意味を誰かに伝えるためにではなく、自分自身を維持するために吐き出されている。

実は私も今回初めてちゃんと歌詞を読んだので知らなかったのだが、よく聴いてみるとアラン・ヴェガは「侵略者がやってきて、後には何も残らなかった」など何度か「侵略者(invader)」というワードを使っていて、アルバムがリリースされた時期を考え合わせれば、「I Don’t Know」が明確に9・11同時多発テロ後のニューヨーク市民の精神的状況について歌ったものであることがわかるようになっている。だからこそ愛する女性は姿を消し、彼は殺意に身を震わせているのだ(テロの犠牲者のうち約40%の遺体は現在も見つかっていない)。しかし20年前の私がそのことに気づかないまま胸を打たれたように、この曲にはそんな特殊な背景を超えて我々の心に訴える力があるように思う。

それは彼がわからないことをただ「わからない」と言っているからではないか。

おそらくは文明史上のほとんどの期間、世界中のほとんどの場所で、人前で「わからない」と言うことは社会的地位のある人間にとって沽券に関わるものとされてきた。「わかっている」ことは力であり、力を持ち続けるためには「わかって」いなくてはならなかった。そして大人は子どもの前で、男性は女性の前で、上司は部下の前で、教師は生徒の前で、医者は患者の前で、「わかっている側」に立って後者を「わかられる側」に追いやり、そこから危ういパワーギャップと広大な死角が生まれることになった。しかし格差を是正するための多くの社会的な変化に加え、検索すればその場で知識を与えてくれるインターネットの発展もあいまって、特にこの10年ほどのうちに「すべてをわかっているべき大人の男性」という理想は急速に古び、むしろ有害なものとして見なされ始めている。自分より強い立場の人間に勝手にわかられ、それを前提に行動される側はたまったものではない。

「I Don’t Know」で、当時の私は大人の男性がここまではっきりと「わからない」ことを認め、それがもたらす感情的な混乱をここまで素直に表現しているのを初めて聴いたのだと思う。しかもそれをスーサイドがやっている凄味もあった。上のライブ映像を観ればわかる通り、スーサイドは怖い。周囲の考えに左右されずに自らの道を追求する人々の集団であるアーティストたちの世界を見渡してみても、スーサイドほど尖った、妥協のない、腹の据わった人間は少ない。彼らはどんな現実の要請にも、どんな音楽の常識にも、どんな観客の暴挙にも––––アラン・ヴェガはライブ中に別のバンドのファンに殴られて鼻の骨を折ったり、飛んできたスパナが頭に当たって流血したこともあった––––動じることがなかった。そんな「すべてを悟っていそう」な彼らが、ただただ状況に振り回され、大好きだった人への愛と、彼女を彼のもとから奪った人間(私は当時それが誰なのか知らなかったが)への憎しみのあいだで右往左往しながら、「わからない」と言い続けている。その痛々しさと人間らしさに私は涙が出そうになったのだと思う。

残念ながら人は通常、「わからなさ」の中にはなかなかとどまれない。それは苦しいからだ。私たちはすぐにわかったつもりになって決断を下してしまう。そしてそれこそが同時多発テロ以後のアメリカの振る舞いでもあった。約3,000人が犠牲になった史上最悪のテロが起きた日の衝撃を忘れてしまった人はいないだろうが、それからひと月も経たずに始まったアフガニスタン紛争による米軍の死者、テロとは何の関係もないアフガニスタンの民間人の死者、20年に及んだ戦争全体の死者が何人だったのかを知っている人がどれだけいるだろうか。「I Don’t Know」が戦いに突入していくほかなかったアメリカの国民感情をリアルに捉えているのは確かだろう。しかしこの曲はそうではなかったかもしれない世界についても歌っている。「I don’t know」という言葉で始まった歌は、やはり「I don’t know」で終わる。なぜこんなことが起こらなくてはならないのか、なぜこんなことになってしまったのか、理解できないことはどうしたって理解できない。その苦しさとともに、苦しさと引き換えに守れたかもしれないものとともに、この曲はある。


なお長らく1948年生まれとされてきたアラン・ヴェガは生誕70周年を記念した限定盤を2008年にリリースしたことで実際には1938年生まれだったことが明らかになったが、これはつまり今や歴史的名盤となったスーサイドのデビュー・アルバムのときに彼はすでに40歳を迎えようとしていたこと、「I Don’t Know」を歌っているときには64歳だったことを意味している。これはこれで相当すごいと思うのだが。