似ていないからできること–––Spider Godの「Stay」からポップとブラックメタルについて考える

ブラックメタルというジャンルのことはあまり詳しくないので、曲の良し悪しについてもよくわからない。しかしイギリスのソロ・ブラックメタル・プロジェクトであるスパイダー・ゴッドの「Stay」という曲、これは一聴してとても良い曲だと思った。その甘さと苦さ、繊細さと豪胆さ、希望と絶望の感覚など相反するパラメーターのバランスはフェリーニの映画のごとく絶妙で、ひとつの芸術作品として非の打ち所がないようにすら感じられた。曲を聴いてしばらくはデフヘヴンの『Sunbather』(2013)以来の新鮮な感動と、「こんなものを作っている人がいるのか」という驚きにとらわれていたような気がする。

何はともあれ、まずは以下の文章を読み進めずにその曲をただ聴いてみてほしい。2分少々の短い曲だ(スマホのスピーカーだと音が潰れるのでイヤホンなどをおすすめします)。


特徴的な前奏を聴いて「おや」と思う人がどれくらいいるのかわからないが、海外のポップ・ミュージックにそれなりに触れる機会のある人たちの多くにとっては何のことはない、これはザ・キッド・ラロイとジャスティン・ビーバーによる2021年の大ヒット曲のカバーである。ビルボード・チャートでBTSやオリヴィア・ロドリゴらを抑えて計7週にわたって1位を獲得し、Spotifyだけで現在15億回も再生されているこの「STAY」という曲を私は寡聞にしてまったく知らなかったのだ(この曲をスパイダー・ゴッドによるカバーで知ったという人間は地球上にいったい何人いるのだろう)。こうしてようやく聴くことになったオリジナルは一転、身だしなみの行き届いたスウィートでメランコリックな曲で、こちらもまたすぐに気に入ってしまった。当時17歳のキッド・ラロイが前半を一人で歌い、10歳年上のジャスティン・ビーバーが途中から入ってくる。

しかし王道ポップソングとブラックメタルというこれ以上考えられないほど対極的な音楽性を持った2つのバージョンにそれぞれ心惹かれるというのも妙な気分だ。キッド・ラロイとジャスティン・ビーバーを含む9人の作曲家チームがアイディアを持ち寄って作ったこのラブソングが非常によくできた曲であることは(少なくとも主観的には)疑う余地がない。普段はポップ・アイコンに対してシニカルな立場を取ることも多いStereogumのレビュワーも、「音楽的に彼(キッド・ラロイ)はジャンルの垣根を越えた成功の新しい地平に向かって爆発的な勢いで進んでいるように思う」などとこの曲については非常に高く評価している。でもちょっと待ってほしい、そのままでも十分美味しいこの貴重な食材を煮えたぎった鍋の中で待ち受けているのは、デス声とブラストビートとトレモロ・ピッキングのどす黒いスープなのである。

カバー版「Stay」が収められているアルバム『Black Renditions』(2022)はポップソングのカバー・アルバムで、ここでスパイダー・ゴッドは他にブリトニー・スピアーズやスパイス・ガールズ、クリスティーナ・アギレラらのヒット曲を再解釈している(アルバムのタイトルは「ブラック(メタル)による解釈」といったほどの意味)。とはいえブラックメタルの装いをまとっていることを除けば構想上の斬新な工夫が凝らされているというわけでもなく、いずれも原曲にかなり忠実なカバーであり、だからこそバックストリート・ボーイズの「I Want It That Way」(懐かしい)やTWICEの「What Is Love?」といった選曲はさすがにクレイジーすぎてどういうつもりなのか見当もつかない。死や破壊衝動や人間不信を扱うことの多いブラックメタルの世界観と取り上げている曲のあいだに何の接点も見いだせないのだ。ポップソングをブラックメタル化したらそりゃまあそうなるだろうという例である。

ところが「Stay」の場合、カバー曲として、つまり既存の音楽に新たな視点を与える実験的な試みとして、これ以上望めないほどの成功を収めているように感じられる。ベラスケスの『教皇インノケンティウス10世の肖像』のフランシス・ベーコンによる再解釈のようにと言っては言いすぎかもしれない(言いすぎである)が、そこには表と裏がひっくり返ったような、死臭すら漂うほどの猥雑な生命感があって、私などは単純に言ってとても元気をもらえる。『Black Renditions』を販売しているBandcampのページでも再生ボタンを押すとまず最終曲の「Stay」が流れるようになっており、アーティスト本人もこの曲の出来にはことさらの自信を持っているようだ。

タイトルが示す通り、原曲はあまり関係がうまくいっていない恋人に対して「これからもそばにいてほしい」と訴える一見ロマンティックな歌詞を持っている。しかしよく聴いてみるとそれはなかなか苦しげなもので、問題行動を起こすたびに恋人に対して「変わってみせるよ」と約束するこの曲の主人公は、そう言っている瞬間すら自分が決して変われないことを悟っている。酒を飲んでもひどい気分は晴れず、無駄に過ごしてきてしまった日々のことが頭から離れない。そんな自分の気持ちを恋人はきっと理解できないだろうと感じている。会えばいつでも愛を与えてくれる彼女の優しさに報いたいとは思っているが、自分のことも他人のことも信じるのが苦手な彼は、このままでは今以上に関係をめちゃくちゃにしてしまうのではないかと危惧している。でもそういう人間だからこそ、彼女なしでやっていくことができない。

ブラックメタルが思いがけず化学反応を起こしているのはこの孤独感や無力感のためだろう。例えば「どこにも行かないでくれよ(I need you to stay)」、「君がここにいなければ俺はクソミソになっちまうよ(I’ll be fucked up if you can’t be right here)」という2つのリフレインは、カバー・バージョンの全身全霊を賭した歌い方のほうが明らかに切実に響く。歌唱法や演奏方法からコスチュームやメイクアップまで、様式がほとんど伝統芸能の域まで確立されているブラックメタルの匿名性が持ち込まれることによってキッド・ラロイとジャスティン・ビーバーのスター性という糖衣が剥がされたカバー版「Stay」は、その歌詞がひそかに含んでいた「恋愛という美しい状況に対して何かが決定的に足りない自分への罪悪感」にフォーカスした、より危機的な情緒的構成を持った曲として刷新されている。

見方を変えれば、この曲では恋愛を理想化することで個人のメンタルヘルス上の問題をなおざりにしてきた(あるいは個人のメンタルヘルス上の問題をなおざりにすることで恋愛を理想化してきた)ポップ・ミュージックの盲点がブラックメタルによって暴かれ、また補完されているようでもある。逆にブラックメタルの側は通常ありえないほど甘い歌詞や際立ったメロディー、ドラマティックな曲構成を得ることで生きることへのシンプルな渇望に目覚めているようでもあり、本来は水と油であるはずのポップとブラックメタルがごく自然に手を携えた「Stay」は、それ自体が互いの弱さをえぐり合いながらも庇い合う、美しい恋人たちの姿に見えなくもない。自分に欠けているものを認めるのは大切なことだが、それに対して罪悪感を持つ必要はない。その欠落があるからこそ人は誰かと深くつながり合うことができるのだ。歌詞の中では叶わないままの調和を音楽的に実現しているこの曲は、そんなふうに語っているように見える。