周りにしか行く場所がない–––いつか書いた小説のこと

今回は音楽とは直接関係のない記事です。

このサイトを始める以前、私には小説を書いていた時期がありました。31歳から33歳にかけて初めての小説を書き、33歳から35歳にかけて2つめの小説を書きました。どちらも原稿用紙で言うと250枚程度の長さで、世間的にはいわゆる「中編」ということになるでしょうか。

それらの作品を文学賞に応募し、落選して綺麗に夢やぶれ、夢やぶれた30代の人々の多くと同じように自分の人生の評価軸を他人の目から自分の目に移すという過程を通り抜け、とりたてて特別なところのない自分自身というものにそれなりに納得して生きられるようになりながら(なってしまいながら)今に至ります。

小説はこれまで公開していなかったので、特別親しい2、3の友人たちを除いて誰にも読まれることがありませんでした。しかし最近になって、相対的によく書けた2番目の作品だけでも人の目に触れる場所に置いておいてもいいのかなと思うようになりました。どこの馬の骨とも知れない人間の書いた小説をわざわざネット上で読もうと思う人がいるとは思えませんが(それを言ったら音楽レビューだって大差ありませんが)、いちおう人生で一番頑張ったことではあり、ここに載せている他の文章とまったくの無関係というわけでもないので載せておくぶんにはいいかと判断しました。

そこには私が今年で40歳になるということも関係しているのかもしれません。他の人にとってはどうなのかわかりませんが、私にとって40になるというのは「1回死んで生き返る」のと近い体験であるように感じられます。その意味ではこれは前世の遺品整理みたいなことなのかもしれません。

この『周りにしか行く場所がない』という作品を書き終えたのはちょうどMeToo運動のきっかけとなったハーヴィー・ワインスティーンを告発する記事がニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌に掲載された2017年10月のことで、執筆していた時期と今とでは時代の空気が––––まだまだ不十分ながら––––大きく変わったように感じられます。それに加えてたくさんの未熟な点や問題点があるにもかかわらず、私はこの小説を完成させられたことを今でも喜ばしく思っていて、生活の中でふと登場人物たちのことを思い出したり、たまに読み返してそこに書いたことが自分にとって持つ意味を考えたりしています。私がそれなりに安穏として前半生を「死ねる」のは、これを形にできたからなのかもしれません。

毎朝執筆を始める前に儀式のように宇多田ヒカルさんの「道」という曲を聴いていたこともよく憶えています。

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