脆い心の、脆い心による、脆い心のためのダンス–––Two Shell『lil spirits』全曲紹介

このところ欧米のメディアで「イギリスで最も話題のダンス・アクト」(The Face)、「現在エレクトロニック・ミュージックで起こっている最もホットな出来事」(Stereogum)などと呼ばれているトゥー・シェル。私が彼らの存在を意識するようになったのは多くのファンと同じように2022年1月に配信されたシングル「home」を聴いてからで、そのときは「すごく音楽らしい音楽をやる人たちが出てきたな」というような感想を持った。

1つの曲から歌詞という言語的要素を除いた純粋なサウンドの部分に「饒舌さ」という概念を適用できるのだとしたら、「home」は普段めったに耳にしないほど饒舌に感じられた。音楽が言葉の力を借りるまでもなく多くを語っているように聴こえたのだ。「思いきり振った炭酸ボトルのようなエネルギーで沸き立っている」と海外のある批評家が形容している通り、「home」は瑞々しく刺激的で、音はその一つ一つが抱えている「意味」ではちきれんばかりに聴こえる。この曲のヴォーカル部分にはサンプリング元があるが、それも併せて聴けば、彼らが原曲に施したマジックがどのようなものだったのかがより鮮明に見えてくる。

しかしそれはやはりシングルという短いフォーマットであり、その後6月に出たEP『Icons』はビートが生む快感というクラブ・ミュージックの原則に依拠したダンスフロア向けの作品で、クラブに行く習慣のない私にとってはややシリアスというか重厚というか、UKテクノの伝統に忠実すぎるように聴こえ、個人的に期待する彼らの魅力を十分に体験するには至らなかった(一般には高いリテラシーを要求する本格派の傑作として賞賛され、現在も彼らの代表作と考えられている。2019年のデビューEPを聴けばわかるように彼らは元来シリアスな音楽性を持ったデュオだが、時とともにトリックスター的な志向を露呈するようになってきており、その二面性がファンを二分しているところはあるような気がする)。

そしてこの2月に発表された『lil spirits』である。

このEPに収められた5曲を聴いて、私が待っていた音楽、私が思うトゥー・シェルの音楽がついに届いたと感じた。「いま一番クールな音楽は?」と訊かれたら、同梱されている遊び心や気まぐれさもひっくるめてこの作品を挙げたくなる。「小さな精霊たち」を意味するタイトルの通りすべての収録曲が3分台で揃えられた小品ではあるものの、「home」で垣間見ることのできた抜きん出た音楽的センスがよりオリジナルな形で展開されている。というかここまでセンスが抜きん出ているとむしろ危うさを感じてしまうほどだ。そのあまりの尖り方に彼ら自身も不安になるのか、2曲目と5曲目の最後は意図的にダサくしてバランスを取っているみたいにも聴こえる。

※初めは5曲入りだったが、Bandcampでの購入者限定のシークレット・トラックだった6曲目の「✨mum is calling✨」が3月末からストリーミングでも聴けるようになった。

「home」にせよ『Icons』にせよ、彼らの作品の肝になっているのは個々の音が持つ多様な種類の美しさだ。『lil spirits』を聴いているときに私の頭に自然と浮かんでくるのは「intriguing」という英語で、「興味をそそる」という意味だが、この言葉は「陰謀」を表す「intrigue」から来ていて、辞書によれば「何かよくわからないから知りたくなるもの」に対して使われることが多いらしい。そしてこの感覚はひょっとして日本語に置き換えるなら「カワイイ」が一番近いのではないかと思ったりする。対象が動物であれ子どもであれ女性であれおじさんであれ、カワイイと感じるものを目にするとき、私はやはりそこで何か大事なことが起こっているような気がして、その正体が何なのか興味をそそられる。『lil spirits』はダフト・パンクの『Discovery』ほど大柄でもなければ完成してもいないが、どちらも音がイントリーギングでカワイイので何度も聴いてしまうという意味では似ている。

音そのものに饒舌に語らせる一方、トゥー・シェルは意外に言葉を大切にしているユニットでもあって、彼らのサイトでひっそりとセルフ・リリースされた作品も含め、「home」以降はほとんどの曲で歌や声を用いている。にもかかわらず「歌もの」の印象が不思議なほど残らないのは、それくらい言葉が音楽に溶け込んでその一部になっているからなのかもしれない。だが注意して聴いてみると、『lil spirits』では歌詞が作品全体を通してゆるやかな物語を描いているように感じられる。

1曲目の「i m e s s a g e」はタイトルの通り、2人の人物のメッセージのやりとりで始まる。

yeah im ok

ああ大丈夫

you know

うん

things rolling

何もかもうまくいってるよ

whats going on then

なら何が起こっているっていうの

are you ok

are you ok

are you ok

あなた本当に大丈夫

yeah

ああ

I dont really know how to talk about it

それについてはどう話せばいいのか本当にわからないんだ

AIのような声質で心配そうに様子を尋ねる相手に対して、男性は「どう話したらいいのかわからない」というこの最後の台詞を繰り返すことしかできない。彼の身には何か筆舌に尽くしがたい、オーケーではないことが起こっている。しかしそれが実際のところ何なのかは、やりとりしている相手はおろか、本人にすらわからない。未知の状況がもたらす緊張と混乱の中、いつしか彼の声もAIのそれに変化していく––––まるで自分自身を見失い、iMessageの通信路のどこかに迷い込んでしまったかのように。

昨年末の来日時に撮影したものと見られる「love him」の映像

その混乱を瞬時に整える2曲目「love him」は、打って変わって自らが置かれた状況や、そこで自分がしていることについての確信に満ちた人の歌だ。肌にそっと触れる恋人の手のひらのような親密な感触を持つ6音のリフが曲を始動させると、断片化されたタイトルのフレーズが蝶の群れのように宙を舞い、その中をビートが胸を高鳴らせながら駆けていく。愛するということ。その勇敢さとなまめかしさ。誰かに対する強く優しい思いは、それを持つ者に拠って立つべき盤石な足場を与え、あらゆる不確かさを追い払う。

3曲目の「mind_d​ᴉ​lɟ」で精神は完全にゾーンに入っている。リズムとメロディーが一体となってブルドーザーのように前進するトラックに解像度の低いビートが乗ってテクスチャー的な展望を拡げ、原形がわからないほどばらばらに解体された声がリズムとメロディーの両方を同時に複雑化させる30数秒のイントロはトゥー・シェルの真骨頂だ。それから聴こえてくる歌にはやはりサイバー空間の奥深くからやってくるような強いエフェクトがかけられている。

I wanna know who you are

I wanna know what you want

I wanna know what you’re feeling

I wanna know what you’re thinking

あなたが何者なのか知りたい

あなたが何を求めているのか知りたい

あなたが何を感じているのか知りたい

あなたが何を考えているのか知りたい

少しすると、「マインド・フリッパー」と自称するAIが「あなたは今『マインド・スキャナー』の中に立っています」と話しかけてくる。「これから認証を始めます。自分を信じていてください」。その言葉とともに心のスキャニングが始まる。やがて無事テストを通過したことが告げられると(「You have passed the scanner. Now, let’s party」)、元の音楽が速度を上げて戻ってくる。この曲の主人公は––––あるいはこの曲を聴いている私たちは––––人智を超えた存在から内面をくまなく精査され、承認されたのだ。精神分析家のジェシカ・ベンジャミンは著書『他者の影』の中で、「自我は本当には、独立した自己完結的なものなのではなく、実はそれが同化した対象によって作られている……自己はつねに他者との同一化を途切れなく展開しておりまさにその同一化によって成り立っているのだ」(p.135-6)と書いているが、人の心は私たちが普段思っているほど外界とのあいだにはっきりとした境界を持つものではない。この曲には境界線の切れ目から他者に滑り込まれ、意識の薄闇をまさぐられるような甘い屈服とその恍惚がある。

続く4曲目「bluefairy」はその意識の薄闇の中をくぐり抜けるような音楽だ。しかし前曲とは異なり、この曲に出てくる青年は誰の助けを得ることもできないまま、たった一人でその暗さを耐えている。彼はこう歌う。

Get on with anyone

Not scared of anyone

But mommy

I can’t swim in shark-infested waters

誰とだってうまくやれる

誰のことも怖れはしない

でも母さん

鮫がはびこる海では泳げないよ

自らを勇気づけ、恐怖心と戦いながらも、彼は不安に引っ張られてしまう。若い人にとって(若くない人にとっても)外の世界に出ていくことは恐ろしい。弱者を食い物にするような人間がうようよいる社会はまさに「鮫がはびこる海」だ。生命の危機は生存本能を煽って燃え立つような衝動を生み、いつしか曲はトンネルの中を猛スピードで走り抜けていく車のようなモメンタムを獲得する。まるで通過儀礼を経て超自然的な存在と接続したかのように、3分を過ぎたところで青年の声質はやはり変わり、彼はそれまでの怯えた若者とは違う、何か別のものに変貌していく。なお途中でチアリーダーのような声が入ってきて応援するところがあるが、これは本当は男である(なんて気の利いたサンプリングなのだろう)。

リリース当初はラストに据えられていた5曲目「♡here4u♡」はエンドロールのような明るくさらりとした感触を持つ曲で、「あなたのためにここにいる」という意味のタイトルからはこの曲全体がトゥー・シェルからリスナーへのメッセージになっているようにも取れる。「僕がここにいることをあなたに知っていてほしい(I want you to know I’m here)」という言葉で始まる曲の途中には「僕はまだここにいる(I’m still here)」という台詞も出てくるが、これは他に誰もいなくなってしまっても変わらず同じ場所に留まろうとする彼らの意思の表明のように聴こえる。ライ麦畑に迷い込んだ子どもたちが見えない崖から落ちないように抱き止めるサリンジャーの「キャッチャー」のように、彼らは人がふとした瞬間に陥りがちな心のエアポケットのような地点で待ち受け、私たちを何ものからか守ろうとしているかのようだ。

新しい最終曲「✨mum is calling✨」はそのものずばり電話をかけてくる母親の歌で、トゥー・シェルがEPのリリース後1ヵ月半経ってこの曲をシークレット・トラックから「格上げ」してMVまで作った理由は不明だが、結果としてはそれでよかったのではないかと私は思う。4曲目では呼び掛けられるだけで姿を現さなかった母親がここで登場し、『lil spirits』に通底する「何か恐ろしいものに対峙している人物と、その人物のことを気にかける人の存在」という構図がいよいよ前景化してくることで、作品全体がより強固に束ねられているように感じられるからだ。「お母さんから着信です。電話に出ますか?」という着信音がしばらく続いた後、主人公はようやく電話に出て、あれこれと心配する母親に対してぎこちない声で「なんとかやってるよ」と応じる。その様子はあたかも彼がすでに大人になり、会話を通じて母親から受け取れるものがほとんどなくなってしまったからこそ、純粋な「ケア」を感じられる着信という事象そのものを慈しみ、その時間を引き延ばしたがっているかのようでもある。


トゥー・シェルはこれまでメンバーの名前や素顔を一切明かしておらず、昨年バルセロナで開催されたフェスでもDJブースに現れた2人はデコイ(影武者)だったことが明らかになっている(セットの最初でつまみを調整しているのがメンバーの1人だと言われている)。しかしそんな彼らがこれまで唯一受けたインタビューがある。それも対面ではなくチャット形式の、昨年7月11日にわずか12時間限定で公開された記事だったが、ネット上にはどんなことでも記録を残している人がいるものだ。

ところどころでAIが自動生成した文章を差し挟むなど煙に巻くような部分もありながら全体として驚くほど真摯に謙虚に受け答えしていて、読んでいて感動するタイプのインタビューだった。本人たちの意向を尊重して直接の引用は避けるが、日々懸命に作業しながら内面の怖れや不安と向き合い、いつも自分らしくあろうと心がけることがいい作品を作り続けるために何よりも重要だと考えていることや、音楽を作っている最大の理由は自分の脆く傷つきやすい心の面倒を見るためであることなどが語られている(「シェル(殻)」という柔らかな本体を守るためのものがプロジェクト名に使われていることもこの傷つきやすさと無関係ではないようだ)。さらにトゥー・シェルの音楽を聴く人たちにどんな気分になってほしいかという質問に対しては、自分自身のことが信じられるような気分に、そして自分は一人きりではないのだという気分になってほしいと答えている。

自分を信じ、一人ではないと感じられるようになること。この2つを目的に『lil spirits』が作られたのだと仮定して改めて聴いてみると、多くの音がそのどちらかを達成するために存在しているように感じられ、それまで無関係に見えていた点が線を結ぶような気がした。人とのコミュニケーションがテクノロジーによって媒介される度合いが急激に大きくなるのと時を同じくして巷では「自己肯定感」とかいう一昔前には聞いたこともないような言葉が浸透してきて、そのせいで逆に自己否定に苦しむ人が増えたのではないかという気すらする。しかし対面でないコミュニケーションから多くのことを繊細に感じ、サイバー空間の向こう側に自分にとって大切な何かを見出そうとする日常を送るようになった今だからこそ、私たちは音楽の中に棲む「小さな精霊たち」と過去にないほど緊密に––––電話の向こうの母親と同じくらい近い存在として––––つながることができるようになっているのではないか。今だからこそ、他人を気にかけ、知り、認め、愛することの意味を、そしてそれを人からしてもらえることの喜びを、彼らから教えてもらうことができるのではないか。『lil spirits』はそんなことを考えさせてくれる。