Ghost Translator(ゴースト・トランスレーター)について

芸術作品は無限に孤独なものであって、批評によってほど、これに達することの不可能なことはありません。ただ愛だけがこれを捉え引き止めることができ、これに対して公平であり得るのです。

ライナー・マリア・リルケ『若き詩人への手紙』、高安国世訳、新潮文庫、p.24-25

このサイトのテーマは、音楽を言葉に翻訳することです。

私はふだん日本語-英語間の翻訳で生計を立てています。私がこの仕事で特に好きなのは、作業がうまくいけばいくほど、時間と労力を費やせば費やすほど、訳文から翻訳者の存在感がきれいに消えていくところです。翻訳者は言葉に身を捧げるサーヴァント(奉仕者)であり、訳すべき原稿が目の前に頑として存在する限り、言葉の上に立つことはありませんし、できません(勝手なことをしたら読者や編集者から怒られます)。私には特定の音楽ジャンルに関する百科事典的な知識もなければ、一部の人々が生まれながらにして持つ特別な音楽のセンスにも恵まれていませんが、職業的に組み上げてきたそんな「透明な置き換え装置」としての自分を、大好きな音楽について語ることにも使えないだろうかと考えました。

もちろん音楽を直接言葉に置き換えることは不可能なので、実際には「音楽→受けた印象→言葉」という過程を辿ることになるかと思います。その意味ではできあがった文章はどこまでも私の個人性に基づいたものになるわけですが、時間をかけて音楽体験の深度と言葉の精度を向上させ(要は何度も聴き返しては書き直し)、可能な限り文章を自律的なものにしていくことによって、自我のありのままの表出としての「批評」とは異なる、酔いと臭みとべたつきの少ない、個人的でありながら虚ろなほど非個人的なレビューが書けないだろうかと考えています。

サブスクリプション・サービスが台頭して以来、音楽作品は過去に例がないほど身近になっており、毎日の生活を少しだけ楽しくしてくれたり、場合によっては人生さえ変えてくれる可能性を持った作品が目と鼻の先にあるときに、単にきっかけがないからというだけでその存在が無いのと同じになってしまうのは、あまりにももったいないことのような気がします。このサイトでは国内外のメディアやSNSでは比較的取り上げられることの少ない音楽を取り上げ、あるいはまたすでに知られている音楽に異なる角度から光を当て、読んでいただく方々の日常をいくらかなりとも豊かにすることを目指します。

いわゆるジャンルとしての「現代音楽」や「実験音楽」は扱わないつもりですが、何らかの意味で現代性や実験性のない音楽もまた扱いません。その二つの極のあいだにある作品たちについて書くことになると思います。

 音楽というものは、人間精神の暗黒な深淵のふちのところで、戯れているもののように私には思われる。こういう怖ろしい戯れを生活の愉楽にかぞえ、音楽堂や美しい客間で、音楽に耳を傾けている人たちを見ると、私はそういう人たちの豪胆さにおどろかずにはいられない。こんな危険なものは、生活に接触させてはならないのだ。

 音という形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕えられ檻に入れられた幽霊と謂った、ものすごい印象を私に惹き起す。

三島由紀夫『小説家の休暇』、新潮文庫、p.18

2020年1月1日