『UNDERTALE』のサウンドトラックについて真面目に考える–––【前編】感じる心は取り戻せるのか

この記事はゲームの核心についての記述を含みます。

これは前編・中編・後編からなる記事の前編です。中編はこちら後編はこちら

『UNDERTALE』という歴史的作品

愛らしい登場人物たちと謎の多い物語、レトロながら斬新なバトルシステム、細かく分ければ93通りにもなる多岐にわたるエンディングなど、『UNDERTALE(アンダーテイル)』(2015)の魅力を挙げればきりがない。だがこのアメリカのインディー・ゲームが革新的だった最大の理由は、それが『MOTHER』シリーズを始めとする日本のRPG(JRPG)の伝統に深く根差しながら、モンスターを1体も倒すことなくクリアすることができたということではないだろうか。「主人公は敵を倒すもの」と、それまでほとんど疑問に思われることのなかったこのジャンルの大前提を逆手に取り、敵を1度でも殺すことがストーリーの展開に決定的な影響を与えるほどゲームの倫理面を重視することで、『UNDERTALE』はかつてなかった種類の感動的なゲーム体験を実現することに成功したのだ。

その結果は歴史の知るところである。『UNDERTALE』は発売から3年のうちに全世界で350万枚以上を売り上げ、無数の二次創作やプレイ動画、感想・考察・議論ページを今もなお生み出し続けている。ゲームサイトの老舗GameFAQsが2015年に行った「Best. Game. Ever.(史上最高のゲーム)」の人気投票で『クロノトリガー』や『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を抑えて1位を獲得したときには、海外のゲームファンのあいだでちょっとした騒ぎになりもした。

ゲームの大半をたった1人で制作したトビー・フォックス(発売時23歳)は、音楽は独学ながら、サウンドトラックもすべて自分で作っている。このサウンドトラックの特別なところは、それがこれまた史上最高のゲーム音楽の1つに数えられるほど質が高く、単独での鑑賞にも耐えるということだけでなく、各シーンの音楽がシーン自体のプログラミングより前に作られているということだ。「音楽を先に作れば、シーンをどう進めたらいいのか決めやすくなるんだ」と、トビー・フォックスはあるインタビューで語っている。つまり、『UNDERTALE』の音楽は完成したゲームに後づけされる添え物ではなく、そこからゲーム内世界の細部が立ち上がってくる青写真のようなものとして、それ自体が整然とした物語的構造を持っている。サウンドトラック全101曲のひとつひとつをその構造を支える「柱」と考えるなら、曲同士を水平方向につなぐ「梁」となっているのが、89曲に含まれているライトモチーフだ。

ライトモチーフとは何か

ライトモチーフ【(ドイツ)Leitmotiv】

オペラ・標題音楽などで、特定の人物・理念・状況などを表現するために繰り返し現れる楽節・動機。ワグナーの楽劇によって確立された。指導動機。示導動機。

デジタル大辞泉

1つの例を取り上げてみよう。『UNDERTALE』には、トリエルとアズゴアというモンスターが登場する。トリエルは地底の世界に落ちた主人公をゲームの冒頭で守り導く母親のようなキャラクターで、アズゴアは主人公を殺そうとゲームの最後で待ち構えるモンスターたちの王様だ。対照的な役割が与えられている彼らはもともと夫婦だったのだが、その事実はアズゴアとの戦いに至ってもなおはっきりとは説明されない。しかしそのときに流れる曲は、彼らをつなぐ絆の存在を示している。まずは「Heartache(心の痛み)」という曲を聴いてみよう(カッコ内は日本盤サウンドトラックでの題名)。

これはトリエルの住む「ホーム」を離れ、地底の世界を通り抜けて地上に戻ろうとしている主人公の前に彼女が立ちはだかる戦闘シーンの音楽だ。この安全な場所から出ていけば、主人公には多くの苦難が待ち受けていること、最終的にはアズゴアに殺されてしまうことをトリエルは知っている。それを許すことはできないが、可愛い主人公と対峙するような破目になってしまったのはとてもつらい。この曲は彼女の断固たる意志の中に垣間見えるそんな「心の痛み」を表現している。

一方、アズゴアとのバトルではこんな曲が流れる。

最初のうちはこれまで聴いたことのないオリジナル曲のように聴こえる。しかし34秒から始まるのは––––8分の6拍子から4分の4拍子にリズムは変更されているものの––––「Heartache」のメロディーだ。意識的にせよ無意識的にせよ、ここでプレイヤーはアズゴアとトリエルの関係性や、アズゴアもまた主人公と戦うにあたって「心の痛み」を抱えていることを感じ取ることになる。このメロディーのように、異なる曲に現れて共通の性質を表現するのがライトモチーフだ。

『UNDERTALE』のサウンドトラックでは驚くほどたくさんのライトモチーフがまさに網の目のごとく張り巡らされていて(例えば上の「ASGORE」には他にも3つのライトモチーフが含まれている)、ある海外の批評家は「このサウンドトラックが唯一惜しいのは、ゲームのメロディーのいくつか、特にメインテーマがあまりにも繰り返されすぎ、一部の曲がくどく感じられることだ」と書いているほどだ。この批判の是非についてはさておき、実際にメインテーマ「Once Upon A Time(むかしむかし…)」のメロディーは17もの曲で現れていて、どう評価するにせよライトモチーフに触れずにこのサウンドトラックについて語るのは不可能に近い。しかしそのすべてに触れるわけにもいかないので、この記事ではこのゲームのテーマにとって最も重要だと思われるものだけを取り上げることにする。そのためにまず、『UNDERTALE』がどのようなゲームなのかについて、改めて考えてみたい。

人間としてのモンスター、モンスターとしての人間

『UNDERTALE』に出てくるモンスターたちはいわゆる「ザコキャラ」からボスに至るまで、みなクセや悩みやこだわりのようなものを抱えている。プレイヤーは多くの場合、「こうどう」のコマンドを通じて彼らを褒めたり慰めたり一緒に遊んだりしてうまく調子を合わせることによって、バトルを穏便に終わらせることができる。こちらを攻撃してくるように見えるときも、モンスターのほとんどは魔法の弾を使って自己表現したりコミュニケーションを取ろうとしたりしているだけで、主人公を傷つける意図はない(ゲームの序盤で主人公が訪れるスノーフルの町の図書館の蔵書参照)。トビー・フォックス自身の言葉を借りれば、『UNDERTALE』のモンスターにはそれぞれに「人格」がある。

一方の人間はどうか。やはりスノーフルの図書館の本棚の1つを調べてみると、こんな文章が書かれた本が出てくる。

あい きぼう おもいやり…

モンスターのタマシイは これらのもので できているとされる。

しかし そもそも「タマシイ」とはどういうものなのか よくわかっていないのが げんじょうだ。

なにしろ ニンゲンのタマシイは それらのものがなくても そんざいできるのだ。

初めに「モンスターを1体も倒すことなくクリア」できると書いたが、『UNDERTALE』では人間である主人公(およびプレイヤー)は逆にモンスターを好きなだけ殺すこともでき、こうした選択によってその後のストーリーは大きく変化していく。このゲームがいつも変わらず心を寄せているのは人間よりむしろモンスターたちのほうで、それが特に明らかになるのはプレイヤーが主人公にすべてのモンスターを殺させる道、いわゆる「虐殺ルート(Gルート)」を選んだ場合だ。

認知心理学者のダニエル・J・レヴィティンは『音楽好きな脳 人はなぜ音楽に夢中になるのか』(西田美緒子訳、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス、2021年、原著は2006年)の中で、音楽の規則的なリズムには「すべてがうまくいっていることを知らせてくれる」(p.215)という機能があると書いている。しかしGルートでは多くのBGMの再生スピードが極端に落とされ、リズムは滞り、時に消失してしまう。音楽らしい音楽が与えられているのはアンダインやメタトン、サンズなど、いずれもモンスターの側だ。特にアンダインのバトル曲には「Battle Against A True Hero(本物のヒーローとの戦い)」という題がつけられ、殺戮マシーンと化した主人公がこれ以上モンスターたちに手をかけるのを命を賭して止めようとするアンダインのことを「ヒーロー」と捉えている。

※サンズのGルートのバトル曲「Megalovania」は長らくこのゲームのサウンドトラックで最大の人気曲になっているが、この曲は基となる曲が2008年から存在しているという特殊な事情があり、収録曲の中では数少ないライトモチーフを1つも含まない曲であるため、ここでは扱わない。

画面上でアンダインは「ゆうしゃ」と呼ばれる

このルートの最後で主人公と対面するとき、アズゴアはこう問いかける。

フム…

きみは どういう

モンスターかな…?

通常のRPGのように現れる敵を手際よく倒していくと、『UNDERTALE』ではこのように人間とモンスターの立場が反転する。またこのゲームでは、通常のRPGで「経験値(Experience Points)」の意味である「EXP」が実は「Execution Points(処刑値)」の略であること、通常のRPGでは「レベル」の意味である「LV」が(初めは「LOVE」の略であるとされているが)最終的には「Level of Violence(ぼうりょくレベル)」の略であることも明らかになる。「ぼうりょくレベル」が上がっていく仕組みについて、サンズはこう説明する。

ころせば ころすほど かんじょうを おさえるのが よういになる。

かんじょうを おさえるほど じぶんは こころのいたみを かんじなくなる。

なんの ためらいもなく たしゃを きずつけることが できるようになる。

「ぼうりょくレベル」が上がるほど、主人公の体力と攻撃力は上がり、プレイヤーは簡単にモンスターを倒すことができるようになる。最終的にモンスターたちは避難し、主人公の前に現れなくなる。そのため『UNDERTALE』の三大ルートの中で最も手間をかけずにクリアできるのがこのGルートだ(一部のボス戦を除く)。エンディングでは、かつてモンスターたちの住む地底世界に初めて落ちた「最初の人間」が蘇ってプレイヤーに対して以下のように語り、最後にはゲーム内世界を破壊してしまう。

お前が…

導いてくれたおかげで…

私は 自分を蘇らせたものが何なのか悟った。

それは…「力」だ。

私たちはともに敵をせん滅し力をつけた。

RPGのレガシーの上に立つ物語

このようにして『UNDERTALE』は一作品としての枠を超え、RPGの長い歴史に1つの大胆な疑問を投げかける。それは、敵キャラへの攻撃は一種の暴力であり、正当化できないものなのではないかということだ。「考えてみれば、ほとんどのRPGは終わりのない殺戮祭りだ」とトビー・フォックスは制作当時のインタビューで答えている。「何体のモンスターを殺すというのか? それも何の目的で? すべてはそのコンセプトから自然と湧き上がってきたようなものだよ」

もちろんプレイヤーたちはゲームのルールに従ってモンスターを殺してきたにすぎない。従来のRPGでは、それ以外の方法でストーリーを進めることはできなかったのだから。第一、プレイヤーからすればモンスターはソフトウェア内のプログラムにすぎず、それに対して「殺戮」や「殺す」という言葉を使うのは哲学で言うところのカテゴリー錯誤でもある。また敢えて付け加えるなら、暴力的なゲームをプレイすることと若者の攻撃性の因果関係は近年の研究ではおおむね否定されている。しかし4歳のときに『MOTHER 2』(英題は『EarthBound』)で文字の読み方を覚えたほどの根っからのJRPGファンであり、初めてオリジナル・ゲームを開発することになったトビー・フォックスにとって、それは避けて通ることのできない問題だった。彼はルールそのものを変えることを望んだ。

以上のことをまとめると、『UNDERTALE』の中心にある思想はこういうことになるのではないか。RPGは伝統的に「あい きぼう おもいやり」を忘れ––––あるいは「あい きぼう おもいやり」の名のもとに––––「力」を志向している。ストーリーの結末や隠された秘密を知りたいプレイヤーは、ゲームから求められるままモンスターを殺すことに慣れ、自分の暴力や暴力を受ける他者のことについて何も感じなくなっている。だから『UNDERTALE』は「力」を棄て、「あい きぼう おもいやり」を取り戻すことについての物語でなくてはならない。そしてその新しい物語はプレイヤーに押しつけるものではなく、プレイヤーが自らの意志で、モンスターの気持ちを想像しながら行動することの時間と労力を惜しまずに選び取るものでなくてはならない。その結果モンスターたちが救われるとき、プレイヤーは自らをも救い出し、感じる心を取り戻すだろう。

中編では『UNDERTALE』のサウンドトラックをより深く理解するため、まずはこの思想にとっての最重要キャラクターを取り上げながらゲーム序盤までの物語を具体的に追い、それから主要なライトモチーフを実際に聴いていく。

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