明るく、幸せで、ポジティブであるという謎–––Devon Williams『Carefree』『Euphoria』

ビートルズやオアシスは明るく、ニルヴァーナやレディオヘッドは暗い。中学から高校にかけて、私は自分の身の回りにある音楽をそんなふうに明るいものと暗いものに分けることができると信じていたような気がする。アーティスト単位で分類してしまうのはやや乱暴だとしても、曲単位でなら可能だと思っていただろう。何が明るく、何が暗いのかということは、きっと当時の私にとって重要な指標だったのだ。自分の内外で起こる急激な変化にうまくついていけない他のたくさんの年頃の子どもたちと同じように、私の思春期もまた光と闇がはっきりと分かれた時期だった。

その頃と比べれば激しく浮かれたり落ち込んだりすることの少なくなった今は、世の中に存在する曲のほとんどは明るさと暗さの入り混じった曲か、特に明るくも暗くもない曲であることを知っている。オアシスには彼らだけが抉り出すことのできる社会の暗部があり、ニルヴァーナには彼らだけが人の心に投じることのできる明かりが(たぶん)ある。そもそも明るさや暗さが音楽にとってどれだけ本質的なことなのかも怪しいところだ。「明るい」とか「暗い」という言葉はそれこそ中高生がクラスメイトの性格を誰かに説明するときに使うようなごく便宜的なものであって、便宜的なものがしばしばそうであるように、かえって事態の本質からは遠ざかってしまっているのかもしれない。

それでもアーティストごと、曲ごとに明るさと暗さの配分のようなものに違いを感じることがあるのも事実で、極端に明るいもの、極端に暗いものには歳とともにあまり手が伸びなくなってきている。少なくとも日常的に聴く音楽ではなくなっている。明るくあることそのものが目的になっているような音楽は、自分との接点が見つからず、右耳から左耳へすり抜けてしまう。暗さを美化する(「肯定する」ではない。肯定は明るさだ)耽美的で破滅的な音楽は、昔は自己陶酔に浸るのに使えたような気もするが、アーティストが個人的に抱えている闇を美術品のように保管して見世物にする姿勢に、徐々に裏返しのナルシシズムみたいなものを感じるようになった。

年を取るということは––––特に35歳あたりを過ぎてからは––––両極端を突き詰めることの中にではなく、その「あわい」の不確かさの中にリアリティを見出すようになることなのかもしれない。同じことは「幸せ」と「不幸」、「ポジティブ」と「ネガティブ」といった言葉についても言えそうだ。たいていの人は長く生きるほどに自分が美点においても欠点においてもさほど飛び抜けた存在ではなく、南国の海のように広く心地よい凡庸の中に収まっていることに気づいていく。だからこそわかりやすい二項対立に絡めとられてみだりに浮き足立ったり自分を責めたりすることなく、日々、名前のない領域で頭を働かせ、手足を動かすことが重要になっていく。

これが戦時中だとか高度経済成長期のような特殊な時期だったらもっとロマンティックに明るさや暗さを保ち続けることもできたのかもしれないが、現代は涙が出そうなほどドライな時代である。気分障害やパーソナリティ障害、PTSDや依存症を始めとする精神医学の知識が各種のメディアを通じて一般に広く知られるようになり、過去には個人の自由な性格傾向だと思われていたものが「症状」として捉えられることも増えてきた。それからやや遅れるようにして最近では健康な精神のあり方についても科学的に扱われる場面を多く目にするようになってきている。栄養や睡眠の質の向上、運動や瞑想の実践、セルフヘルプとしての認知行動療法やポジティブ心理学など、科学に裏づけられたウェルビーイング(幸福)追求の動きが盛んになり、幸福はなんとなくやってくるものではなく、かなりの程度まで自分自身の日常的な取り組みによって手にすることが可能なものなのだという考え方が広まりつつある。私が年を取ったというだけでなく、社会的にも明るさや暗さは以前のようなミステリアスな魅力を失い、芸術の対象になりにくくなってきているのだ。

ロサンジェルスのシンガー・ソングライター、デヴォン・ウィリアムズの『Carefree』(2008)と『Euphoria』(2011)には、絵に描いたような「極端に明るい音楽」が収められている。ここまで長々と書いてきた話を覆すわけではないのだが、私はこれらのアルバムにいとも簡単に明るく、幸せで、ポジティブな気分にさせられてしまう。「人生なんて何にも考えずに楽しくやっていくのが一番いいんだから」と、正月の酔っ払った親戚みたいに何の機微も陰翳もないことを思ってしまう。昼間に料理などするときにちょうどいいのでどちらももう長いこと聴いているのだが、その効力はいまだに失われていない。ただ明るいだけに聴こえる音楽になぜそんな力があるのか、なぜ彼だけが特別なのか、私にはよくわからない。