ザ・クレイドル『Bag of Holding』(NNA Tapes, 2018)のオープニング曲「Sweet Dreams」は、2017年の年明け直後にイスタンブールのナイトクラブで実際に起こった銃撃テロ事件をこの曲の語り手がテレビの報道番組で見ている場面から始まる。だが彼は時差の関係でまだ年が明けていないニューヨークの年越しカウントダウンの生中継も気になっていて、2つのチャンネルのあいだをリモコンを使って行ったり来たりする。外を見ると、フロリダの満天の星空が広がっている。このぶんなら朝にはビーチで泳ぐことができるだろう。
40 dead in Istanbul at a disco on New Year’s Eve
It’s midnight in Timbercreek, turn the channel back to NYC
2017––––10, 9, 8, 7, 6, 5, 4, 3, 2, 1
Stars flying from the roofs in the warm wind of Boca Raton
Check the weather on your phone, how we doing in Boca Raton?
Think I’m gonna go to sleep, in the morning we’ll go to the beach
Sweet dreams––––I’ll be up to make the coffee
大晦日の夜にイスタンブールのディスコで40人死亡
ティンバークリークは真夜中 ニューヨークシティにチャンネルを戻す
2017年がやってくる––––10、9、8、7、6、5、4、3、2、1
星々は屋根から舞い上がる ボカラトンの温かな風に乗って
携帯で天気を調べてみてよ ボカラトンはどんな感じ?
もうそろそろ寝ようかな 朝にはビーチへ行くんだし
甘い夢––––コーヒーなら僕が起きて淹れておくから
ここには極めて現代的な心のありようが描かれている。残虐な事件から受けるショックと、日々を彩るイベントへの無邪気な興味は、重さの変わらない等価な情緒として、一人の人間の中で瞬時に切り替わりうる。その事実が特に何の皮肉も価値判断もなく、ただただ美しいアンサンブルに乗せて歌われていることによって、この曲はそこで語られていない感情––––または感情の不在––––をかえって際立たせているようにも感じられる。持続しない注意と忘れっぽさは、私たちが情報の洪水を生き延びるために新たに獲得したスキルなのかもしれない。しかしその一方で、ヴァーチャル化する社会と人間関係の中では自分や他人の存在感が徐々に希薄になっていき、しまいには人間の命さえただの数字としてしか見えなくなってしまいかねない。そのようなとき、私たちはいったいどのように生きていったらいいのだろうか?
ザ・クレイドルはブルックリン在住のパコ・カスカートによるソロ・プロジェクト。過去6年間に実に28もの作品(いくつかの詩を含む)をBandcampにおいて発表してきた彼が初めてアメリカの主要な音楽メディアで取り上げられるきっかけとなったのが、本作『Bag of Holding』だ。
初期アニマル・コレクティヴ風の実験性の高い過去作品からは転換を図り、本作においてカスカートはギターでの弾き語りを軸とした親しみやすい楽曲群を構築している(その多くはサウスフロリダの祖母の家に滞在していたときに書かれたという)。アルバム全体を貫くテーマは2曲目の「Cell Games and Beyond」において特に明らかだ。この歌の語り手には以前付き合っていた恋人がいて、現在その恋人はIT業界で成功しているらしいやり手の男性と付き合っているが、なぜか彼に「また会いたい」と連絡を取ってくる。複雑な思いを抱えながらも、彼は昼夜を問わずコンピューターの世界に没入している彼女の新しい恋人の生活を『スタートレック』シリーズやウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』に言及しながらからかい、「自分はただの大工にすぎないけど、君には手を動かして働く男のほうが合ってるんじゃないかと思うんだ」と彼女への変わらない愛を伝える。
テクノロジーへの過度な入れ込みに対するカスカートの問題意識は、ラブソングに文明批判を織り込むという歌詞の面での工夫にとどまることなく、『Bag of Holding』の全体に浸透している。「真空の中で作られたようなサウンドのレコーディングがしたいという欲求にはもともと懐疑的なんだ。そこからはカネとねじ曲がったエゴのにおいがする……僕はレコーディングが行われた時間と場所を何らかの形で含みこんでいるような音楽に惹かれる」とSoundflyのインタビューで語っている彼はレコーディング・エンジニアとしての顔も持っており、その反近代主義的・反商業主義的な哲学は彼の職人気質な録音メソッドにもよく表れているのだ。
『Bag of Holding』は彼の自宅で、60年代に広く用いられていた4トラック・レコーダーを使って録音されている。ギターにはフォークの分野において一般的なスティール弦ではなく、より柔らかで丸みのある音の得られるナイロン弦を張り、オーケストラ・パート(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、クラリネット、バスクラリネット、ホルン)に関しては当時一緒に部屋を借りていたアレンジャーのサミー・ワイスバーグに一任している。そうして書き上げられた楽譜をワイスバーグの友人のジャズ・ミュージシャンたちが部屋にやってきて演奏し、さらにカスカートがエンジニアとして関わってきたバンド、パルバータの女性3人のメンバーたちがコーラスを加えた。電気・電子的な楽器は一切使用されていない。
いわば『Bag of Holding』は現実世界とコンピューター世界がシームレスにつながった日々を生きることに慣れてしまった時代に対して、1つの新しい(というか古い)価値観を歌詞とサウンドの両面から提示した作品と言えるかもしれない。実際のところ、その家内制手工業的な制作方法はかなり成功しているように思う。ダブルで録音されて左右のチャンネルに振り分けられたヴォーカルとギターは、湧き水のような秘めやかさを得ている。使われている楽器の多さにもかかわらず、オーケストラは曲の骨格を埋もれさせてしまうことなく、コーラスとともにカスカートの個人的な語りをさりげなく装飾し、それを集合的な物語にまで高めるような効果を与えている。
とりわけアルバムを締めくくる2曲(Bandcamp版。LPやサブスクでは曲順が異なる)のトラベル・ソング––––クリーヴランドからニューヨークへ向かうグレイハウンド・バスの車窓の風景や途中で起こった出来事について語る「The Opposite Way Pt. 3」と、フロリダにやってきた彼がたまたま立ち寄った教会で出会った刑務所帰りの「フィッシュマン・マイク」が語る話に耳を傾ける「St. Pete Station」––––において、その感覚は顕著だ。聴き手をストーリーテリングの海の中に包み込むようなその懐の深い世界観においては、行き場のない、文脈を失った行為のすべてがそのどこかにきちんと位置づけられる。そこでは誰もが必ず自分の居場所を見つけることができる––––そう思わせるほどに、カスカートはこれらの曲で、滔々と流れるアメリカのフォーク・ミュージック史の深い川から掬い上げられたかのような豊かな連帯意識に支えられた理想の世界を作り上げている。何度でも訪れたくなる、一種の音楽的ユートピアのようなものを。
だがそこで語られているのはSFやファンタジー小説が描き出すような現実の上や下や横や奥に存在する世界ではない。カスカートはありのままの現実をありのままに観察している。不法入国者を取り締まる国境警察、打ち捨てられたサイロ、モスクのような形をした教会、その教会の十字架よりも背の高いシェル石油の看板。フィッシュマン・マイクが語るのは、合成大麻を吸って道端に倒れていた男を助け起こそうとしただけで警察に逮捕され、2か月間投獄されたという話だ(タバコを違法に販売していた疑いで白人警官に取り押さえられ、絞め殺されたエリック・ガーナーの事件を思い起こさせる)。
冒頭の「Sweet Dreams」において散漫な注意力のために一貫した物語を紡ぐことができずにいた語り手は、旅に出ることによってそれを可能にする。「甘い夢」を見る代わりに、彼は異質さや不気味さを伴って目の前に現れる見知らぬ他者のことを語っていく。それと同時にカスカート自身が、そしてまた種々の楽器に使われている木や金属や繊維が、私たちの鼓膜を耳慣れない、時代遅れな仕方で震わせる空気の波となって、自らの実在を物理的に主張する。まるでこのアルバムそのものが見知らぬ他者としてスピーカーの中から現れることによって、仮想空間へ消えていこうとしている私たちを引き留めようとするかのように。
本作のジャケット写真では、あちこちから拾い集めてきたと思われる錆びた鉄や乾いた骨(これらはまさにそれ自体の中に「時間と場所を含みこんでいる」ものだ)が丁寧に並べられ、その隙間に人形が置かれている。長い時間の流れや大きな空間の広がりの中では、一人一人の人間はとても小さなものだ。でもだからこそ、私たちは知らない土地に赴いて、知らない歴史を持った人々と出会い、夢を物語に置き換えていくこと––––自分が生きている時間と場所を孤立した点としてではなく、他の多くの点との関係において捉えていくこと––––ができる。夜空に星座を描くように、混沌とした人生の中に豊かな意味を見出すことができる。世界のリアリティは時空の中に点在する無数の存在によって常に励まされていて、技術の進歩などによって簡単にどこかへ消えてしまうものではないのだ。私たちが互いの声に耳を傾け合う限り。