傾いた塔のように–––Brian Wilson「God Only Knows」

来年80歳を迎えるザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが12歳の頃から毎日のように使ってきたという自宅のピアノで過去の自作曲を弾いたインストゥルメンタル・アルバム『At My Piano』が11月にリリースされる。「God Only Knows」はそこからの1stシングル。

この種の音楽には原曲に対する思い入れがあればあるほどどこか冷めた目で見てしまうようなところがあるような気がする。ただ弾いているだけと言ったら悪いが、右手にメロディー、左手にコードが割り当てられた、『Pet Sounds』(1966)収録のオリジナル版「God Only Knows」に対してこれ以上ないくらい素直なアレンジの演奏を聴いていて、本人ではなく周りがこういう企画を求めるんだろうなとか、この「いかにも」すぎるジャケット写真はどうなんだとか、私自身、ほとんど言いがかりに近い態度になっていってしまった。しかし続く間奏の途中(1:30~)で、それから曲の終わり(2:30~)で––––いずれも原曲ではコーラスが入っている部分に相当する––––なんとなく頭の中に思い描いていたブライアンの右手と左手の動きを一瞬見失ったとき、私は「God Only Knows」はこれらのセクションを中心として成り立っている曲だったのではないかと、目からうろこが落ちたような気持ちになった。

これまでそのように感じなかったのは、原曲のそれ以外の部分の印象があまりにも強かったからかもしれない。「僕がこれまで書いた曲の中で唯一はっきりとしたキーのない曲」とブライアン自身が語っているように(キーがAとEのあいだを不安定に行き来する)、弟のカール・ウィルソンによるメイン・ヴォーカルと、のちにバロックポップの元祖とみなされることにもなる20人ものミュージシャンによる演奏には、どこにも腰を落ち着けることのない、憂鬱の中へ落ち込みながら同時に宙を舞うような、恋そのもののようにマジカルな両義性がある。歌詞もまた、仮定法に関わる単語を立て続けに用いることでそれと呼応した物語を描いている。

If you should ever leave me

Well, life would still go on, believe me

The world could show nothing to me

So what good would living do me?

God only knows what I’d be without you

もし君がいなくなったら

それでも人生は続くだろう、だけど

世界は僕に何も示してくれなくなるだろう

だとしたら生きることに何の意味があるだろう?

君を失った僕がどうなるかは神様だけが知っている

「もし君がいなくなったら」という最初のふとした仮定をきっかけに、歌の主人公は「こうなるだろう」「ああなるだろう」と空想の上にも空想を重ねながら希死念慮めいたところに接近し、最後には神様の中に身を投げ出す。どこまでも独り歩きする思考は今にも正気の縁から足を踏み外しそうな危うさを秘めているが、それは恋に落ちた人間が体験する、存在の核心にまで至るトラウマ的なほどに強烈な喜びを見事に捉えてもいる。歌と合奏という「かぶせ」が取り払われ、曲の土台がむき出しになった今回のブライアン・ウィルソンの演奏は、間奏と結末における幻惑的な(というかほとんど譫妄的な)コーラスが、この不安定な心のあり方のサウンド面での象徴となっていたことを気づかせてくれたような気がしたのだ。

そのような曲としてもう一度この新しい「God Only Knows」を聴き直してみると、靄のかかったようなピアノの音は、遠い昔に聴いた音楽を思い出すことのできるアルツハイマー病患者の能力とその最終的な喪失を描いたザ・ケアテイカーの一連の作品を想起させるほどの凄みを持って聞こえてくる。空想の中でしか花開くことのない恋というものは、薄れゆく記憶と同じように、人の心の中にあるにもかかわらず、本人の手からどうしようもなくこぼれ落ちていく。そんなものに自分を託してしまう私たちはまるで傾いた塔のように、それ自体は美しく完成しているのに、何かが根本的に狂ってしまっている。それが私であり、私の好きな人たちであり、人間なのだと教えてくれる「God Only Knows」は、恋をはるかに超え、愛の歌になっているようにも感じられる。